「ニコライ・モロゾフ」の版間の差分
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2010年9月1日 (水) 04:29時点における版
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2008/2009 GPファイナルフリー演技後のキス・アンド・クライで(右は安藤美姫) | ||||
生誕 |
1975年12月17日(48歳) モスクワ | |||
選手情報 | ||||
代表国 |
ベラルーシ アゼルバイジャン | |||
引退 | 1998年 |
ニコライ・モロゾフ(ロシア語:Николай Морозов, ラテン文字:Nikolai Morozov、1975年12月17日 - )は、ロシア生まれ、アメリカ在住のフィギュアスケートコーチ、振付師。1990年代にはアイスダンスの選手として活躍し、ベラルーシ代表として長野オリンピックに出場した。フィギュアスケート振付師のシェイリーン・ボーンは元妻(2005年に結婚、2007年に離婚)。
経歴
16歳までシングルの選手だったが、同じタチアナ・タラソワチームのイリヤ・クーリックの前に限界を感じ[要出典]、アイスダンスに転向。1994年世界選手権にアゼルバイジャン代表として出場。1998年にはベラルーシ代表としてタチアナ・ナフカとともに長野オリンピックに出場、16位となった。この年を最後に競技生活から退く。
引退後はタチアナ・タラソワのアシスタントとなり、間もなく振付師としての才能を示し始めた。1999-2000シーズンのバーバラ・フーザル=ポリ & マウリツィオ・マルガリオ組『ロード・オブ・ザ・ダンス』、そして2000-2001シーズン、アレクセイ・ヤグディン『グラディエーター』で脚光を浴び、翌2001-2002シーズンには『Winter』、『仮面の男』でヤグディンを世界トップに返り咲かせた[1][2]。2003年にタラソワと袂を分かち独立。その後、荒川静香をトリノオリンピック金メダリストに、安藤美姫を不調から立ち直らせて2007年世界選手権優勝に、高橋大輔を2007年世界選手権2位に導く。高橋とはエージェントと仕事のやり方が合わず、2007年頃から関係が悪化し、2008年契約解除に至った。[3][4]
コーチ・振付師としての特徴
ニュージャージー州ハッケンサックにある「アイスハウス」を拠点として指導にあたっている[5]。自身がアイスダンスの選手だったこともあり、ステップに力を入れている[1]。氷の上で動きを実際に行えるのが特長[6]。
2005年グランプリファイナルで3位になり喜んでいた高橋に対し「こんな結果で満足するな」と叱責したというエピソードがある[7]。
振付師としては、音楽、要素、動きなど、そのスケーターに一番合うものを選んで構成したいという考えを持っている[8]。作品は選手をよく観察したうえで作られ、選手の欠点を補い長所を目立たせるものと評されている[9]。
主な作品
- アレクセイ・ヤグディン(男子シングル)2001-2002シーズン『仮面の男』[1]
- シェイ=リーン・ボーン & ヴィクター・クラーツ(アイスダンス)2002-2003シーズン『アダージョ』[1]
- 荒川静香(女子シングル)2002-2003シーズン『白鳥の湖』[1]、2005-2006シーズン『トゥーランドット』[8]
- エレーナ・グルシナ & ルスラン・ゴンチャロフ(アイスダンス)2004-2005シーズン『四季』[1]
- ミシェル・クワン(女子シングル)2003-2004シーズン『アランフエス協奏曲』[1]
- 髙橋大輔(男子シングル)2006-2007シーズン『オペラ座の怪人』[8]
- 安藤美姫(女子シングル)2006-2007シーズン『シェヘラザード』[8]
発言
- 2008-2009シーズンに改正されたジャンプのルールに関し「厳しく回転不足を取る今季の規則は、高難度に挑む選手を罰し、競技の未来のためにならない。安藤の3回転-3回転(コンビネーションジャンプ)にしても、浅田真央の2度のトリプルアクセルにしても、回転不足で大幅減点され、跳ばない方がマシというのは理不尽だ」と述べている。また「日本は、選手をアイドル扱いし過ぎる。長い目で人間として成長を見守る支援体制があるべきだ」と述べている[10]。
- 2009年世界選手権後でのインタビューで、安藤の銅メダル獲得の要因を「今回は誰の邪魔も受けなかったこと」と答え、日本スケート連盟の一部の人間が選手に過度に干渉することを痛烈に批判した[11]。
脚注
- ^ a b c d e f g 上坂美穂編『オール・アバウトフィギュアスケート』ぴあ(ぴあワンダーランドSpecial)、2005年11月、p.50
- ^ 小坂有紀編『COLORS 2007 フィギュアスケート男子読本』あおば出版、2007年3月、p.90
- ^ 2008年5月25日ジャパンタイムス Morozov blames agent for breakup with Takahashi [1]
- ^ 2008年7月23日icenetwork Suguri and Oda get down to work [2]
- ^ 『ファンブック2009』p.15。なお、同リンクではロビン・ワグナーやアルトゥール・ドミトリエフも指導にあたっている(『Cutting Edge 2008 日本男子フィギュアスケートオフィシャルファンブック』DAI-X出版、2007年12月、p.81)
- ^ モロゾフ・コーチ「高橋の演技歴史に残す」『Yomiuri online』2007年10月30日更新
- ^ 高橋、来月世界フィギュア「五輪まで勝ち続けたい」『Yomiuri online』2008年2月20日更新
- ^ a b c d 青嶋ひろの「振付師に聞く 第3回 ニコライ・モロゾフ」『フィギュアスケートDays vol.2』DAI-X出版、2007年3月、pp.100-102
- ^ 小坂有紀編『COLORS 2007 フィギュアスケート男子読本』あおば出版、2007年3月、p.90
- ^ 村主、変えずに復活 モロゾフコーチインタビュー『Yomiuri online』2008年12月30日更新
- ^ 安藤のコーチが日本連盟を批判/フィギュア『sanspo.com』2009年3月30日更新