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別名「楠木城」。
「上赤阪城」と書くこともある。別名「楠木城」。


== 概要と沿革 ==
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== 参考文献 ==
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*『日本史広辞典』山川出版社、1997年
*『日本史広辞典』山川出版社、1997年
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2010年8月9日 (月) 13:46時点における版

上赤坂城址

上赤坂城(かみあかさかじょう)は、日本。所在地は大阪府南河内郡千早赤阪村上赤阪。国の史跡に指定されている。 「上赤阪城」と書くこともある。別名「楠木城」。

概要と沿革

鎌倉時代末期より南北朝時代に存在した楠木正成の本城である。 昭和9年(1934年3月13日、国の史跡に指定された。

現在、遺構として、等高線に沿った横堀と曲輪が認められる。これは、戦国期に改修を受けたものだと考えられる。

歴史

元弘の乱の主要な舞台となった。元弘2年(1332年)の正成再挙兵後、再び下赤坂城が落城すると、新たに築いたが当城が楠木氏の本城となり、幕府軍に対した。翌元弘3年(1333年)、上赤坂城も落城し、正成は千早城に転じてさらに抗戦を続け、幕府軍を苦しめた。

周辺の金剛山の尾根上には下赤坂城とともに猫路山城・国見山城・枡形城等の出城が築かれており、赤坂城塞群を形成していた。この城塞群は南北朝期にも南朝方の拠点となったが、延文5年(正平15年、1360年)に北朝方の手に落ちた。


関連項目

参考文献

  • 『日本史広辞典』山川出版社、1997年