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'''レナータ・スコット'''('''Renata Scotto''', [[1934年]][[2月24日]] - )は、[[イタリア]]の[[ソプラノ]]歌手。[[ベルカント]]唱法の正統な伝統を受け継ぐ[[オペラ]]歌手として、歌唱力に加えて美貌と演劇力によっても幅広く称賛された。[[2002年]]をもって舞台から引退したが、現在は舞台監督に加えて、[[イタリア]]や[[ニューヨーク]]に設立したオペラ学校で教鞭を執っている。 |
2010年2月26日 (金) 04:33時点における版
クラシック音楽 |
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作曲家 |
ア-カ-サ-タ-ナ ハ-マ-ヤ-ラ-ワ |
音楽史 |
古代 - 中世 ルネサンス - バロック 古典派 - ロマン派 近代 - 現代 |
楽器 |
鍵盤楽器 - 弦楽器 木管楽器 - 金管楽器 打楽器 - 声楽 |
一覧 |
作曲家 - 曲名 交響曲 - ピアノ協奏曲 ピアノソナタ ヴァイオリン協奏曲 ヴァイオリンソナタ チェロ協奏曲 フルート協奏曲 弦楽四重奏曲 - オペラ 指揮者 - 演奏家 オーケストラ - 室内楽団 |
音楽理論/用語 |
音楽理論 - 演奏記号 |
演奏形態 |
器楽 - 声楽 宗教音楽 |
イベント |
音楽祭 |
メタ |
ポータル - プロジェクト カテゴリ |
レナータ・スコット(Renata Scotto, 1934年2月24日 - )は、イタリアのソプラノ歌手。ベルカント唱法の正統な伝統を受け継ぐオペラ歌手として、歌唱力に加えて美貌と演劇力によっても幅広く称賛された。2002年をもって舞台から引退したが、現在は舞台監督に加えて、イタリアやニューヨークに設立したオペラ学校で教鞭を執っている。
概説
サヴォナ出身。1952年のクリスマス・イヴにミラノのテアトロ・ヌオーヴォにおいてヴェルディ《椿姫》のヴィオレッタ役でわずか18歳でオペラ界にデビューを果たす。1953年にカタラーニ《ラ・ワリー》のウォルター役で、スカラ座のオーディションを受ける。審査員の一人であった指揮者のヴィクトル・デ・サーバタは、彼女の歌唱を聞いて、「ほかの受験者のことは忘れよう」と言ったと伝えられる。《ラ・ワリー》は同年12月7日に、マリオ・デル=モナコやレナータ・テバルディとの共演で行われ、スコットはカーテンコールで15回も舞台上に呼び戻された。
大きな突破口は1957年に訪れた。エディンバラにおいてスカラ座は、マリア・カラスをアミーナ役に迎えて、ベッリーニの《夢遊病の女》を上演した。この公演が上首尾だったために、スカラ座はもう一度上演することを決定したが、カラスは出演を拒絶したのである。たったの2日間でスコットはアミーナ役を覚え、カラスの代役として舞台に立った。その公演は大成功に終わり、23歳でスコットは世界の檜舞台に躍り出ることになったのである。
1965年10月13日に、プッチーニ《蝶々夫人》のタイトルロールを歌ってメトロポリタン歌劇場にデビュー。同劇場には1987年まで定期的に出演し、劇場近郊のウェストチェスター・カウンティに居を構えて移り住んだこともある。蝶々さん役はスコットの十八番の一つであり、ジョン・バルビローリとの共演による《蝶々夫人》全曲のEMIへの名録音は有名である。
スコットはレパートリーが幅広く、およそ45の役柄を演ずることが出来た。蝶々さん役のほかに、《椿姫》のヴィオレッタ、《愛の妙薬》のアディーナ、《ラ・ボエーム》のミミ(時にムゼッタ役のときも)、プッチーニ《三部作》のすべてのヒロイン、リッカルド・ザンドナーイ《フランチェスカ・ダ・リミニ》のフランチェスカなど。1981年の《ノルマ》の第一夜は、カラスの支持者によるブーイングに遭ったため、決して大成功だったとはいえない。しかしながらその後の1981年から1982年にかけてのメトロポリタン歌劇場における上演は、たいへん成功した。
近年では、プラシド・ドミンゴが数々のドイツ語オペラに進出しているように、ラテン系歌手のイタリア・オペラ以外への積極的な参加が目覚しいが、レナータ・スコットも1992年に《ばらの騎士》における元帥夫人を、1995年には《パルジファル》のクンドリーを演じており、そのほかに《エレクトラ》におけるクリュテムネストラを演じ、プーランクの一人オペラ《人の声》にも取り組んだ。