ジョン・バルビローリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ジョン・バルビローリ
John Barbirolli
出生名 ジョヴァンニ・バッティスタ・バルビロッリ
(Giovanni Battista Barbirolli)
別名 サー・ジョン(Sir John)
出生 1899年12月2日
出身地 イギリスの旗 イギリス
イングランドの旗 イングランドロンドン
死没 1970年7月29日(満70歳没)
ジャンル クラシック音楽
職業 指揮者
チェリスト
担当楽器 チェロ
活動期間 1916年 - 1970年

ジョン・バルビローリ(Sir John Barbirolli, 1899年12月2日 - 1970年7月29日)はイギリス指揮者。「サー・ジョン」(Sir John)の愛称で知られる。本名はジョヴァンニ・バッティスタ・バルビロッリ(Giovanni Battista Barbirolli)。

略歴[編集]

イタリア人の父とフランス人の母の間にロンドンで生まれる。1916年ヘンリー・ウッド率いるクイーンズ・ホール管弦楽団に入団、最年少のチェリストとして音楽活動を始める。1921年にはエルガーの『チェロ協奏曲』を演奏し、弦楽四重奏などの活動も行った。1925年、室内管弦楽団を組織して指揮者に転向、1936年ニューヨーク・フィルハーモニックの首席指揮者(1936年 - 1943年)に30代の若さで抜擢される。1943年イギリスのハレ管弦楽団の音楽監督(1943年 - 1958年)となり低迷していたオーケストラを鍛え上げて名声を博する。また、ヒューストン交響楽団の常任指揮者(1961年-1967年)を歴任した。エドワード・エルガーレイフ・ヴォーン・ウィリアムズフレデリック・ディーリアスなどのイギリス音楽、ヨハネス・ブラームスグスタフ・マーラージャン・シベリウスなどの後期ロマン派を得意とした。

1970年フィルハーモニア管弦楽団との初来日を目前にして心臓発作により死去。日本公演はサー・ジョン・プリッチャードの指揮で行なわれた。

録音[編集]

客演したベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の団員を感動させ、マーラーの交響曲第9番の録音を実現させたというエピソードは有名である。当時バルビローリはEMI専属で、ベルリン・フィルはドイツ・グラモフォンの専属だったため、EMIがドイツ・グラモフォンからベルリン・フィルを借りる形で実現した。また、ハレ管弦楽団で録音したマーラーの交響曲第3番は有名なマーラー研究家デリック・クックが正規盤発売をEMIに熱心に働きかけたといわれ、マーラーのすべての演奏の中でも最高の演奏の一つと言われている(なお、この録音は1999年にBBCカールトンから発売されている)。ほかのマーラー交響曲録音については初期スタジオ録音やライブ録音を復刻させる動きがあり、現在第8番を除くすべての交響曲を聴くことができる。シベリウスについても素晴らしい録音(交響曲全集、交響詩集)を残している。ドイツ音楽についてはベートーヴェン交響曲第3番『英雄』(BBC交響楽団)、シューベルト交響曲第8番『ザ・グレート』(ハレ管弦楽団)、ブラームスの交響曲全集(ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団)などの録音がある。

なお、バルビローリはヘンリー・パーセルの劇音楽、そしてバードファーナビーらのヴァージナル曲からそれぞれ組曲を編曲し、録音に残している。妻はオーボエ奏者のエヴリン・ロスウェル=バルビローリ(1911年 - 2008年)であり、妻のために『コレッリの主題によるオーボエ協奏曲』『ペルゴレージの主題によるオーボエ協奏曲』を作・編曲し、録音はCD化されている。またバンクーバー交響楽団とのハイドン『オーボエ協奏曲』(偽作)の演奏とリハーサル風景がビデオ化されて入手可能である[1]

初演[編集]

脚注[編集]

  1. ^ エヴリン・ロスウェル(西岡信雄訳)『オーボエのテクニック』(音楽之友社)