「セント・オールバンズの戦い (1461年)」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Almabot (会話 | 投稿記録)
m編集の要約なし
10行目: 10行目:
|result=ランカスター派の勝利
|result=ランカスター派の勝利
|combatant1=[[ヨーク朝|ヨーク家]]
|combatant1=[[ヨーク朝|ヨーク家]]
|combatant2=[[ランカスター家]]
|combatant2=[[ランカスター朝|ランカスター家]]
|commander1=[[リチャード・ネヴィル|ウォリック伯]]
|commander1=[[リチャード・ネヴィル (第16代ウォリック伯)|ウォリック伯]]
|commander2=[[マーガレット・オブ・アンジュー]]
|commander2=[[マーガレット・オブ・アンジュー]]
|strength1=不明
|strength1=不明
23行目: 23行目:


== 戦闘の背景 ==
== 戦闘の背景 ==
[[リチャード・プランタジネット (第3代ヨーク公)|ヨーク公リチャード]]は[[1460年]]12月の[[ウェイクフィールドの戦い]]で戦死し、後を継いだ18歳になる息子のマーチ公エドワード(後の[[エドワード4世 (イングランド王)|エドワード4世]])は、その直前に西で行われた[[モーティマーズ・クロスの戦い]]に参加していて忙しかった。となると[[マーガレット・オブ・アンジュー|マーガレット王妃]]率いる[[ランカスター|ランカスター派]]にとってとるべき道は明確である。ランカスター派は[[ロンドン]]を強襲するため、南進を開始した。
[[リチャード・プランタジネット (第3代ヨーク公)|ヨーク公リチャード]]は[[1460年]]12月の[[ウェイクフィールドの戦い]]で戦死し、後を継いだ18歳になる息子のマーチ公エドワード(後の[[エドワード4世 (イングランド王)|エドワード4世]])は、その直前に西で行われた[[モーティマーズ・クロスの戦い]]に参加していて忙しかった。となると[[マーガレット・オブ・アンジュー|マーガレット王妃]]率いる[[ランカスター|ランカスター派]]にとってとるべき道は明確である。ランカスター派は[[ロンドン]]を強襲するため、南進を開始した。


== 戦闘の様子 ==
== 戦闘の様子 ==
ランカスター派の進軍は、[[リチャード・ネヴィル|ウォリック伯]]指揮下のヨーク派軍によってセント・オールバーンズの近くで妨げられた。ウォリックは防衛のための軍備・陣容を整えていたが、ランカスター派の思わぬ方向からの出現に驚き、打ち負かされた。
ランカスター派の進軍は、[[リチャード・ネヴィル (第16代ウォリック伯)|ウォリック伯]]指揮下のヨーク派軍によってセント・オールバーンズの近くで妨げられた。ウォリックは防衛のための軍備・陣容を整えていたが、ランカスター派の思わぬ方向からの出現に驚き、打ち負かされた。


== 戦闘の結果 ==
== 戦闘の結果 ==
35行目: 35行目:
{{DEFAULTSORT:せんとおるはんすのたたかい1461}}
{{DEFAULTSORT:せんとおるはんすのたたかい1461}}
[[Category:薔薇戦争の戦闘]]
[[Category:薔薇戦争の戦闘]]

{{History-stub}}
{{History-stub}}



2009年7月23日 (木) 15:02時点における版

セント・オールバーンズの戦い
戦争薔薇戦争
年月日1461年 2月22日
場所イングランドハートフォードシャーのセント・オールバーンズ
北緯51度45分18秒 西経0度20分9.6秒 / 北緯51.75500度 西経0.336000度 / 51.75500; -0.336000
結果:ランカスター派の勝利
交戦勢力
ヨーク家 ランカスター家
指導者・指揮官
ウォリック伯 マーガレット・オブ・アンジュー
戦力
不明 不明
損害
不明 不明
薔薇戦争
セント・オールバンズの戦い (1461年) の座標 TL147073
セント・オールバンズの戦い (1461年) 座標: TL147073)場所

(第2次)セント・オールバーンズの戦い(Second Battle of St Albans)は、薔薇戦争中の1461年2月22日、セント・オールバーンズの街の近くで行われた戦闘。

戦闘の背景

ヨーク公リチャード1460年12月のウェイクフィールドの戦いで戦死し、後を継いだ18歳になる息子のマーチ公エドワード(後のエドワード4世)は、その直前に西で行われたモーティマーズ・クロスの戦いに参加していて忙しかった。となるとマーガレット王妃率いるランカスター派にとってとるべき道は明確である。ランカスター派はロンドンを強襲するため、南進を開始した。

戦闘の様子

ランカスター派の進軍は、ウォリック伯指揮下のヨーク派軍によってセント・オールバーンズの近くで妨げられた。ウォリックは防衛のための軍備・陣容を整えていたが、ランカスター派の思わぬ方向からの出現に驚き、打ち負かされた。

戦闘の結果

この戦勝によって、ヨーク派に捕らわれていた国王ヘンリー6世(戦場にいたといっても恐らく木の下で歌でも歌っていたのであろうが)はランカスター派に連れ戻された。だが、ロンドンへの進軍は強行されなかった。ランカスター派による略奪行為のうわさのためロンドン市民がその城門が閉ざしたようで、このため王妃は躊躇した。またマーチ公エドワードがモーティマーズ・クロスの戦いで勝利したニュースもその原因となった。

マーチ公エドワードとウォリック伯は3月2日にロンドンに入り、マーチ公エドワードがイングランド王として宣告された。