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2009年5月2日 (土) 04:25時点における版
ブリオッシュ(仏:Brioche)はフランスの菓子パン(ヴィエノワズリー)の一つ。ブリオーシュとも書く。普通のフランスパンとは違い、水の代わりに牛乳を加え、バターと卵を多く使ったパンである。材料が焼き菓子に近いことから、発酵の過程を要するケーキの一種とされることもある。名前は、ゲルマン語系の「bhreg」に由来する、古フランス語で「捏ねる」を意味する動詞「broyer」または「brier」から派生した。
ブリオッシュ・ア・テット(Brioche à tête、「頭のあるブリオッシュ」)という、だるまのような形に成形したものが最も一般的であるが、他にも色々な形に成形される。プロヴァンス地方などでは公現祭を祝ってガレット・デ・ロワの代わりにブリオッシュ生地を用いてブリオッシュ・デ・ロワ(Brioche des Rois)またはガトー・デ・ロワ(Gâteau des Rois)という菓子を作る。ブリオッシュ・デ・ロワは普通のブリオッシュよりも大きく、王冠のような環型をしており、果物の砂糖漬けなどで飾りつける。ブリオッシュ・デ・ロワの「ロワ」(王たち)とはフランス語で「ロワ・マージュ」(rois mages)と呼ばれる東方の三博士のことである。またブリオッシュの生地は、クグロフ、サヴァラン、ババなどにも応用される。
シチリアではブリオーシャ(brioscia)と呼ばれ、よくグラニタと供する。二つに切ったブリオッシュにグラニタをはさんで食べることもある。
中世ヨーロッパでは、主食とするパンは小麦粉を水と塩のみで練って作るもので、バターや牛乳、卵の入ったブリオッシュのようなパンは菓子であると考えられた。18世紀のフランス王妃マリー・アントワネットが言ったと伝えられる「パンが食べられないのならお菓子を食べればよいのに」の「お菓子」とはこのブリオッシュのことである。
「パンがなければ、ブリオッシュを食べればいいじゃない」
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フランス革命前に民衆が貧困と食料難に陥った際、マリー・アントワネットが「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」と、不適切な発言をしたと、しばしば紹介される。原文は、仏: “Qu'ils mangent de la brioche”、直訳すると「彼らはブリオッシュを食べるように」である。 ブリオッシュは現代ではパンの一種の扱いであるが、かつてはお菓子の一種の扱いをされており、バターと卵を普通のパンより多く使った、いわゆる「贅沢なパン」である。
発言の主はマリー・アントワネットとされることが多い。
お菓子ではなくケーキまたはクロワッサンと言ったという変形もある。なおフランスのクロワッサンやコーヒーを飲む習慣は、彼女がオーストリアから嫁いだ時にフランスに伝えられたと言われている。(ルイ16世の叔母であるヴィクトワール王女の発言とされることもある)。
ただし、これはマリー・アントワネット自身の言葉ではない、ともされている。例えば、ルソーの『告白』(1766年頃執筆)の第6巻に、ワインを飲むためにパンを探したが見つけられないルソーが、“家臣からの「農民にはパンがありません」との発言に対して「それならブリオッシュを食べればよい」とさる大公婦人が答えた”ことを思い出したとあり、この記事が有力な原典のひとつであるといわれている。庇護者で愛人でもあったヴァラン夫人とルソーが気まずくなり、マブリ家に家庭教師として出向いていた時代(1740年頃)のことという。
アルフォンス・カーは、1843年に出版した『悪女たち』の中で、執筆の際にはこの発言は既にマリー・アントワネットのものとして流布していたが、1760年出版のある本に「トスカーナ大公国の公爵夫人」のものとして紹介されている、と書いている。 。トスカーナは1760年当時、マリー・アントワネットの父であるフランツ・シュテファンが所有しており、その後もハプスブルク家に受け継がれたことから、こじつけの理由の一端になった[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。、ともされる。
当時のフランス法には、「食糧難の際にはパンとブリオッシュを同じ値段で売ること」となっていた[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。との説もあり、そのことがこの発言伝説の下敷きのひとつになった[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。とも言われる。ちなみに、ブリオッシュがバターや卵を利用したお菓子とほぼ同じとみなされるパンを示すようになったのは18世紀後半からであり、18世紀初頭まではチーズやバターなどの各地方の特産物を生地に混ぜて栄養性と保存性を高めた保存食という乾パン的位置づけであったため、その元ネタとなる発言は時代によって大きく意味が異なる[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。。そのため、ルイ16世の妃の発言説だと、当時の為政者としてはごく当たり前な(むしろ民衆を気遣う内容の)発言であったのを後世の人間が歪曲して引用したということになる[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。、とも言われる。
いずれにせよ、当時の貴族の贅沢三昧の暮らしぶり、極端な貧富の差、暴政などに対する民衆の怒りの気持ちが込められて流布されていた表現であり、現代でもその当時の民衆の気持ちを推し量りながら引用される逸話であることには変わりはなく、ブリオッシュはフランス革命の一種のシンボルにもなっている。