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創建当時の[[天守]]は元和年間に取り壊された<ref>財団法人日本城郭協会監修 『歴史群像シリーズ 日本の100名城公式ガイドブック』学習研究社 2007年</ref>といわれており、後に城山の中腹にある東二の丸に[[御三階櫓]]が構えられた。 |
創建当時の[[天守]]は元和年間に取り壊された<ref>財団法人日本城郭協会監修 『歴史群像シリーズ 日本の100名城公式ガイドブック』学習研究社 2007年</ref>といわれており、後に城山の中腹にある東二の丸に[[御三階櫓]]が構えられた。 |
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==== 東二の丸天守 ==== |
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東二の丸天守は、天守破却後に天守の代用として建てられた、当時は御三階櫓と呼ばれていたものである。なぜ、二の丸に建てられたのかは定かではなく、景観バランスを整えるためであるとか城の防備上の都合によるものなどが考えられている<ref>西ヶ谷恭弘監修 『復原「名城天守」』 学習研究社 1996年</ref>。明治2年の[[廃城令]]の発布により撤去された。 |
東二の丸天守は、天守破却後に天守の代用として建てられた、当時は御三階櫓と呼ばれていたものである。なぜ、二の丸に建てられたのかは定かではなく、景観バランスを整えるためであるとか城の防備上の都合によるものなどが考えられている<ref>西ヶ谷恭弘監修 『復原「名城天守」』 学習研究社 1996年</ref>。明治2年の[[廃城令]]の発布により撤去された。 |
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== 歴史・沿革 == |
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この地は[[鎌倉時代]]より[[伊予国]][[地頭]]の[[河野氏]]が支配していた。その後、[[室町時代]]の[[至徳 (日本)|至徳]]2年([[1385年]])に[[細川頼之]]が[[四国地方]]にあった[[南朝 (日本)|南朝]]方の勢力を討ち、現在の城地の城山に小城を築いた。頼之はこの地の風光を中国の渭水に例え、渭津と名付けた。 |
この地は[[鎌倉時代]]より[[伊予国]][[地頭]]の[[河野氏]]が支配していた。その後、[[室町時代]]の[[至徳 (日本)|至徳]]2年([[1385年]])に[[細川頼之]]が[[四国地方]]にあった[[南朝 (日本)|南朝]]方の勢力を討ち、現在の城地の城山に小城を築いた。頼之はこの地の風光を中国の渭水に例え、渭津と名付けた。 |
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[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]になると、[[阿波国|阿波]]の地は群雄が割拠し、しばしば城主が入れ替わった。[[天正]]10年([[1582年]])には[[土佐国]]の[[長宗我部元親]]が侵攻し阿波が平定された。 |
[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]になると、[[阿波国|阿波]]の地は群雄が割拠し、しばしば城主が入れ替わった。[[天正]]10年([[1582年]])には[[土佐国]]の[[長宗我部元親]]が侵攻し阿波が平定された。 |
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天正13年([[1585年]])、[[豊臣秀吉]]の[[四国征伐]]に勲功のあった蜂須賀家政([[蜂須賀正勝]]の子)が阿波一国18万6千石を賜った。入封当初は徳島市西部にあった[[一宮城 (阿波国)|一宮城]]に入城したが、入封早々に現在の地に大規模な[[平山城]]を築造し、翌年完成した。以後、[[江戸時代]]を通して[[徳島藩]][[蜂須賀氏]]25万石の居城となり、[[明治維新]]を迎える。 |
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[[明治]]2年([[1869年]])[[版籍奉還]]により廃城となった。明治8年([[1875年]])には鷲之門を除く天守や櫓など全ての城内の建築物が撤去された。明治38年([[1905年]])[[日露戦争]]の戦勝を記念して徳島公園として一般に開放された。 |
[[明治]]2年([[1869年]])[[版籍奉還]]により廃城となった。明治8年([[1875年]])には鷲之門を除く天守や櫓など全ての城内の建築物が撤去された。明治38年([[1905年]])[[日露戦争]]の戦勝を記念して徳島公園として一般に開放された。 |
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平成18年([[2006年]])4月6日、[[日本100名城]](76番)に選定され、平成19年([[2007年]])6月から全国規模の日本100名城スタンプラリーが開始された。 |
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なお、門前にある道路の関係から門の規模と位置は当時とは少し異っている。 |
なお、門前にある道路の関係から門の規模と位置は当時とは少し異っている。 |
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===周囲の文化施設・観光名所=== |
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* [[日本100名城]]スタンプラリー スタンプ設置場所 |
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** 徳島市立徳島城博物館受付カウンター |
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== 脚注 == |
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==関連項目== |
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* [[日本の城一覧#徳島県|日本の城一覧]] |
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2009年3月17日 (火) 04:01時点における版
徳島城 (徳島県) | |
---|---|
徳島城三の丸石垣と城山 | |
別名 | 渭山城、渭津城 |
城郭構造 | 梯郭式平山城 |
天守構造 |
不明(1588年・非現存) 東二の丸御三階櫓(1615年以降) |
築城主 | 蜂須賀家政 |
築城年 | 天正13年(1585年) |
主な改修者 | |
主な城主 | 蜂須賀氏 |
廃城年 | 明治2年(1869年) |
遺構 | 石垣、堀、庭園 |
指定文化財 | 国史跡、国名勝(表御殿庭園) |
再建造物 | 鷲の門 |
位置 | 北緯34度4分30.69秒 東経134度33分18.99秒 / 北緯34.0751917度 東経134.5552750度 |
徳島城(とくしまじょう)は、徳島県徳島市徳島町にあった城。国の史跡、名勝(表御殿庭園)。
概要
徳島城はJR徳島駅の北側にあり、徳島市の中心部に位置する。吉野川河口付近の中洲に位置する標高61メートルの城山を中心に築かれた梯郭式の平山城である。吉野川から分流する助任川、福島川、新町川、寺島川(現在はJRの鉄道が通っている為、埋め立てられている)を外堀としている。
天守
創建当時の天守は元和年間に取り壊された[1]といわれており、後に城山の中腹にある東二の丸に御三階櫓が構えられた。
東二の丸天守
東二の丸天守は、天守破却後に天守の代用として建てられた、当時は御三階櫓と呼ばれていたものである。なぜ、二の丸に建てられたのかは定かではなく、景観バランスを整えるためであるとか城の防備上の都合によるものなどが考えられている[2]。明治2年の廃城令の発布により撤去された。
3重3階建てで、櫓台はなく初重平面形は正方形である。下から7間四方・5間四方3間四方といった具合の層塔型の特徴である一定の逓減率があるが、外観は望楼型といういわゆる復古型などと呼ばれるものである。外観意匠は、全面下見板張りという、素朴なもので、破風も1重目の向唐破風と大入母屋破風以外はない。
太鼓櫓と月見櫓
太鼓櫓と月見櫓は、大手口の両脇(現在の鷲の門跡近く)に構えられた櫓で、特に太鼓櫓は、望楼型の3重4階であり、天守のような造りをした大型の櫓であった。どちらも最上階に外廻縁高欄があり、物見の目的と娯楽の目的を持っていた。
歴史・沿革
鎌倉時代~江戸時代
この地は鎌倉時代より伊予国地頭の河野氏が支配していた。その後、室町時代の至徳2年(1385年)に細川頼之が四国地方にあった南朝方の勢力を討ち、現在の城地の城山に小城を築いた。頼之はこの地の風光を中国の渭水に例え、渭津と名付けた。 戦国時代になると、阿波の地は群雄が割拠し、しばしば城主が入れ替わった。天正10年(1582年)には土佐国の長宗我部元親が侵攻し阿波が平定された。
天正13年(1585年)、豊臣秀吉の四国征伐に勲功のあった蜂須賀家政(蜂須賀正勝の子)が阿波一国18万6千石を賜った。入封当初は徳島市西部にあった一宮城に入城したが、入封早々に現在の地に大規模な平山城を築造し、翌年完成した。以後、江戸時代を通して徳島藩蜂須賀氏25万石の居城となり、明治維新を迎える。
近現代
明治2年(1869年)版籍奉還により廃城となった。明治8年(1875年)には鷲之門を除く天守や櫓など全ての城内の建築物が撤去された。明治38年(1905年)日露戦争の戦勝を記念して徳島公園として一般に開放された。
昭和16年(1941年)には表御殿庭園が国の名勝に指定された。明治以降の城地は苔むす石垣と堀、庭園、鷲之門が残るのみで蜂須賀氏の栄華は偲ぶべくもなかった。さらに太平洋戦争中の昭和20年(1945年)7月4日の徳島大空襲により唯一現存していた鷲之門を焼失した。
平成元年(1989年)に、表御殿外郭の鷲之門が復元され(現在の鷲の門)、徳島城博物館が開館した。
平成18年(2006年)4月6日、日本100名城(76番)に選定され、平成19年(2007年)6月から全国規模の日本100名城スタンプラリーが開始された。
地理
城山
城山 | |
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標高 | 61 m |
所在地 | 徳島県徳島市徳島町 |
プロジェクト 山 |
城山(しろやま)は、徳島県徳島市にある山。標高は61メートル[3]。
城山の北面には助任川が流れている。山頂付近には、徳島大空襲によって亡くなった人たちの慰霊碑等がある。山麓では1922年(大正11年)鳥居龍蔵により城山の貝塚が発見され調査された。現在、山腹にアオサギが繁殖し糞害で周辺の樹木が枯れる等の問題が起こっている。
夏になると阿波踊りの練習をするために有名連がここで練習する風景が目立つ。また、付近の幼稚園や小中学校の遠足としてよく利用されている。
山内にある施設
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数奇屋橋
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下乗橋
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竜王さんのクス
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復元された鷲の門。後方右側の森は城山
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城山の貝塚
復元
鷲の門
鷲の門(わしのもん)は、徳島県徳島市の徳島中央公園内にある大型の薬医門。
江戸時代に徳島城を建築した際に蜂須賀氏が正門として建てた。廃藩置県により徳島城が廃城となった後も、鷲の門だけは残されていたが、1945年(昭和20年)の徳島大空襲によって焼失した。1989年9月27日に徳島市制100周年を記念して復元された[4]。
なお、門前にある道路の関係から門の規模と位置は当時とは少し異っている。
観光
周囲の文化施設・観光名所
利用情報
- 日本100名城スタンプラリー スタンプ設置場所
- 徳島市立徳島城博物館受付カウンター
画像
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徳島中央公園の花見
脚注
- ^ 財団法人日本城郭協会監修 『歴史群像シリーズ 日本の100名城公式ガイドブック』学習研究社 2007年
- ^ 西ヶ谷恭弘監修 『復原「名城天守」』 学習研究社 1996年
- ^ 徳島市:鷲の門(徳島中央公園)参照。
- ^ 徳島市:徳島中央公園参照。