「邇摩郡」の版間の差分

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*[[1956年]](昭和31年)9月30日 - 大森町・五十猛村・大屋村が大田市に編入。(2町)
*[[1956年]](昭和31年)9月30日 - 大森町・五十猛村・大屋村が大田市に編入。(2町)
*2005年(平成17年)10月1日 - 仁摩町・温泉津町が大田市と合併し、大田市が発足、郡より離脱。同日邇摩郡消滅。
*2005年(平成17年)10月1日 - 仁摩町・温泉津町が大田市と合併し、大田市が発足、郡より離脱。同日邇摩郡消滅。

==由来==
かつてこの地域一帯に大きな沼があり「ヌマ(沼)」が転訛したという説や、[[備中国]][[下道郡]]'''迩磨'''(にま)郷より開拓者が移住したことに因むという説などがあるが、はっきりしない。


==関連項目==
==関連項目==

2009年3月14日 (土) 15:10時点における版

日本 > 中国地方 > 島根県 > 邇摩郡

邇摩郡にまぐん)は島根県に存在していた。人口8,682人、面積103.44km²。(2003年)

消滅直前となる2005年9月30日の時点で、以下の2町を含んでいた。

2005年10月1日、2町が(旧)大田市と合併して大田市となったため消滅した。

沿革

  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、以下の村が成立。(19村)
    • 温泉津村、福浦村、福光村、大浜村、湯里村、井田村、仁万村、宅野村、明治村、大森村、水上村、五十猛村、静間村、久利村、忍原村、大屋村(現・大田市)
    • 大家村、八代村(現・川本町
    • 波積村(現・江津市
  • 1891年(明治24年)4月1日 - 明治村が馬路村と大国村に分割された。(20村)
  • 1903年(明治36年)4月1日 - 温泉津村が町制施行して温泉津町となった。(1町19村)
  • 1903年(明治36年)11月6日 - 大森村が町制施行して大森町となった。(2町18村)
  • 1934年(昭和9年)4月1日 - 忍原村が安濃郡川合村・久利村に分割編入された。(2町17村)
  • 1936年(昭和11年)5月10日 - 仁万村が町制施行して仁万町となった。(3町16村)
  • 1941年(昭和16年)8月1日 - 大浜村が温泉津町に編入。(3町15村)
  • 1947年(昭和22年)11月15日 - 大家村・八代村が合併し、大代村が発足。(3町14村)
  • 1951年(昭和26年)4月1日(3町11村)
    • 波積村が那賀郡都治村・黒松村と合併し、那賀郡江東村が発足、郡より離脱。
    • 福浦村・福光村が合併し、福波村が発足。
    • 大森町・水上村が合併し、大森町が発足。
  • 1954年(昭和29年)1月1日 - 静間村・久利村が安濃郡大田町・久手町・波根東村・鳥井村・長久村・川合村と合併し、大田市が発足、郡より離脱。(3町9村)
  • 1954年(昭和29年)4月1日
    • 温泉津町・井田村・福波村・湯里村が合併し、温泉津町が発足。(3町6村)
    • 仁万町・宅野村・馬路村・大国村が合併し、仁摩町が発足。(3町3村)
  • 1955年(昭和30年)4月1日 - 大代村が邑智郡川本町・川下村・三原村・三谷村と合併して邑智郡川本町が発足、郡より離脱。(3町2村)
  • 1956年(昭和31年)9月30日 - 大森町・五十猛村・大屋村が大田市に編入。(2町)
  • 2005年(平成17年)10月1日 - 仁摩町・温泉津町が大田市と合併し、大田市が発足、郡より離脱。同日邇摩郡消滅。

由来

かつてこの地域一帯に大きな沼があり「ヌマ(沼)」が転訛したという説や、備中国下道郡迩磨(にま)郷より開拓者が移住したことに因むという説などがあるが、はっきりしない。

関連項目