「ヨハネス・ド・サクロボスコ」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
7行目: 7行目:


[[Category:イギリスの天文学者]]
[[Category:イギリスの天文学者]]
[[Category:13世紀の学者]]
{{People-stub}}
{{Scientist-stub}}
{{astro-stub}}
{{astro-stub}}



2008年11月1日 (土) 16:25時点における版

De Sphaera of Sacrobosco.

ヨハネス・ド・サクロボスコ(Johannes de Sacrobosco または Sacro Bosco 、John of Holywood、1195年頃 - 1236年頃)はイギリス生まれの学者、天文学者である。パリ大学で数学と哲学を教え、中世の天文学のテキスト、『天球論』(Tractatus de Sphaera)を著した。

イギリスで生まれた。サクロボスコはラテン語で'holy wood'の意味で、ハリファックス('Halifax')が生地で、そのラテン語名を名前にしたとされてきたが、異論もある。オクスフォード大学で学んだあと、1221年6月からパリ大学で学び、その後パリ大学で数学を教え、1230年頃、『天球論』を出版した。天動説宇宙論のテキストで、その後4世紀にわたって西ヨーロッパの学生のテキストとして用いられた。

数学の分野では『記数方論』(Tractatus de Arte Numerandi)、『アルゴリスムス』(Algorismus:計算法)はインド、アラビアの算術法のテキストとして用いられた。暦学の著書De Anni Rationeユリウス暦が、10日の狂いが生じていることを指摘し、ユリウス暦は228年に1日の調整が必要であることを示した。パリで没した。