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|全米オープン=ベスト8(2000) |
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|ダブルス最高=3位 |
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'''ナタリー・トージア'''('''Nathalie Tauziat''', [[1967年]][[10月17日]] - )は、[[フランス]]の女子プロ[[テニス]]選手。[[1998年]]の[[ウィンブルドン選手権|ウィンブルドン]]女子シングルス準優勝者。身長165cm、体重63kgと小柄な体格の選手で、独特な片手打ちのバックハンド・スライス(逆回転のボール)とネット・プレーを最も得意にした。[[ |
'''ナタリー・トージア'''('''Nathalie Tauziat''', [[1967年]][[10月17日]] - )は、[[フランス]]の女子プロ[[テニス]]選手。[[1998年]]の[[ウィンブルドン選手権|ウィンブルドン]]女子シングルス準優勝者。[[2001年]]の[[全米オープン (テニス)|全米オープン]]女子ダブルスで、[[キンバリー・ポー|キンバリー・ポー・メッセーリ]]([[アメリカ合衆国|アメリカ]])とペアを組んだ準優勝もある。身長165cm、体重63kgと小柄な体格の選手で、独特な片手打ちのバックハンド・スライス(逆回転のボール)とネット・プレーを最も得意にした。[[WTA]]ツアーでシングルス8勝、ダブルス25勝を挙げた。ウィンブルドン準優勝の後、30歳を過ぎてから世界ランキングトップ10に定着した、女子プロテニス界では遅咲きの選手だった。 |
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[[中央アフリカ共和国]]の首都・[[バンギ]]で生まれ、8歳まで当地で過ごした。[[グランドスラム (テニス)|4大大会]]初出場は16歳の時で、[[1984年]]の[[1984年全仏オープンテニス|全仏オープン]]であった。地元の同大会では、7年後の[[1991年全仏オープンテニス|1991年]]に出したベスト8進出が自己最高記録である。この時は4回戦で[[日本]]の[[沢松奈生子]]選手に 7-5, 2-6, 12-10 で競り勝ったが、続く準々決勝で[[シュテフィ・グラフ]]に 3-6, 2-6 で完敗した。(トージアはグラフには「21戦全敗」で、1セットも取れなかった。) |
トージアは[[中央アフリカ共和国]]の首都・[[バンギ]]で生まれ、8歳まで当地で過ごした。[[グランドスラム (テニス)|4大大会]]初出場は16歳の時で、[[1984年]]の[[1984年全仏オープンテニス|全仏オープン]]であった。地元の同大会では、7年後の[[1991年全仏オープンテニス|1991年]]に出したベスト8進出が自己最高記録である。この時は4回戦で[[日本]]の[[沢松奈生子]]選手に 7-5, 2-6, 12-10 で競り勝ったが、続く準々決勝で[[シュテフィ・グラフ]]に 3-6, 2-6 で完敗した。(トージアはグラフには「21戦全敗」で、1セットも取れなかった。) |
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[[ウィンブルドン選手権|ウィンブルドン]]では[[1992年ウィンブルドン選手権|1992年]]、[[1997年ウィンブルドン選手権|1997年]]にベスト8進出があり、[[1998年ウィンブルドン選手権|1998年]]に30歳で初の決勝進出を果たす。これはフランスの女子テニス選手として、[[1925年]]の[[スザンヌ・ランラン]]以来「73年ぶり」の進出であった。その決勝戦では[[ヤナ・ノボトナ]]に 4-6, 6-7 のストレートで敗れて準優勝になった。その後もウィンブルドンでは、[[1999年ウィンブルドン選手権|1999年]]と[[2001年ウィンブルドン選手権|2001年]]にベスト8進出がある。トージアのプレー・スタイルは、ウィンブルドン選手権で最大の威力を発揮した。 |
[[ウィンブルドン選手権|ウィンブルドン]]では[[1992年ウィンブルドン選手権|1992年]]、[[1997年ウィンブルドン選手権|1997年]]にベスト8進出があり、[[1998年ウィンブルドン選手権|1998年]]に30歳で初の決勝進出を果たす。これはフランスの女子テニス選手として、[[1925年]]の[[スザンヌ・ランラン]]以来「73年ぶり」の進出であった。その決勝戦では[[ヤナ・ノボトナ]]に 4-6, 6-7 のストレートで敗れて準優勝になった。その後もウィンブルドンでは、[[1999年ウィンブルドン選手権|1999年]]と[[2001年ウィンブルドン選手権|2001年]]にベスト8進出がある。トージアのプレー・スタイルは、ウィンブルドン選手権で最大の威力を発揮した。 |
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女子国別対抗戦・[[フェドカップ]]でのフランス代表としての活動歴も長く、[[1997年]]のワールド・グループ1回戦でトージアは[[東京]]・[[有明コロシアム]]で沢松と再び 7-5, 4-6, 17-15 の激闘を戦っている。フランス・チームはこの年にフェドカップ初優勝を果たした。ところが[[2000年]]4月、トージアは『女子テニス界の裏側』という題名の暴露本を出版する。この著書にフランスのチームメートへの批判的な内容も含まれていたことで、彼女は同年の[[シドニーオリンピックにおけるテニス競技|シドニー五輪]]のフランス代表を外された。 |
女子国別対抗戦・[[フェドカップ]]での[[フランス]]代表としての活動歴も長く、[[1997年]]のワールド・グループ1回戦でトージアは[[東京]]・[[有明コロシアム]]で沢松と再び 7-5, 4-6, 17-15 の激闘を戦っている。フランス・チームはこの年にフェドカップ初優勝を果たした。ところが[[2000年]]4月、トージアは『女子テニス界の裏側』という題名の暴露本を出版する。この著書にフランスのチームメートへの批判的な内容も含まれていたことで、彼女は同年の[[シドニーオリンピックにおけるテニス競技|シドニー五輪]]のフランス代表を外された。 |
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トージアは[[2001年]]のシーズンを最後に女子ツアー大会のシングルスから撤退したが、最後の4大大会シングルス出場となった同年の[[2001年全米オープンテニス|全米オープン]]は4回戦進出で終わった。ダブルスでは[[2003年]]まで現役を続行し、最後の試合出場は[[2003年全仏オープンテニス|2003年全仏オープン]]の女子ダブルス1回戦であった。 |
トージアは[[2001年]]のシーズンを最後に女子ツアー大会のシングルスから撤退したが、最後の4大大会シングルス出場となった同年の[[2001年全米オープンテニス|全米オープン]]は4回戦進出で終わった。ダブルスでは[[2003年]]まで現役を続行し、最後の試合出場は[[2003年全仏オープンテニス|2003年全仏オープン]]の女子ダブルス1回戦であった。 |
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== 関連項目 == |
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* [[テニス]] |
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== 外部リンク == |
== 外部リンク == |
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* {{WTA|id=200011|name=ナタリー・トージア}} |
* {{WTA|id=200011|name=ナタリー・トージア}} |
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* [http://www.fedcup.com/teams/player.asp?player=20001542 フェドカップ成績表] |
* [http://www.fedcup.com/teams/player.asp?player=20001542 フェドカップ成績表] |
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{{DEFAULTSORT:とおしあ なたりい}} |
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[[Category:フランスのオリンピック選手]] |
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[[Category:1967年生]] |
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[[ar:ناتالي توزيا]] |
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[[cs:Nathalie Tauziat]] |
[[cs:Nathalie Tauziat]] |
2008年7月13日 (日) 23:26時点における版
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基本情報 | ||||
国籍 | フランス | |||
出身地 | 中央アフリカ・バンギ | |||
生年月日 | 1967年10月17日(56歳) | |||
身長 | 165cm | |||
体重 | 63kg | |||
利き手 | 右 | |||
バックハンド | 片手打ち | |||
ツアー経歴 | ||||
デビュー年 | 1984年 | |||
引退年 | 2003年 | |||
ツアー通算 | 33勝 | |||
シングルス | 8勝 | |||
ダブルス | 25勝 | |||
生涯通算成績 | 1131勝691敗 | |||
シングルス | 606勝365敗 | |||
ダブルス | 525勝326敗 | |||
生涯獲得賞金 | 6,650,093 アメリカ合衆国ドル | |||
4大大会最高成績・シングルス | ||||
全豪 | 4回戦(1993) | |||
全仏 | ベスト8(1991) | |||
全英 | 準優勝(1998) | |||
全米 | ベスト8(2000) | |||
4大大会最高成績・ダブルス | ||||
全豪 | 3回戦(1993) | |||
全仏 |
ベスト4(1990・94・97・ 99・2000) | |||
全英 | ベスト4(2001) | |||
全米 | 準優勝(2001) | |||
キャリア自己最高ランキング | ||||
シングルス | 5位 | |||
ダブルス | 3位 | |||
ナタリー・トージア(Nathalie Tauziat, 1967年10月17日 - )は、フランスの女子プロテニス選手。1998年のウィンブルドン女子シングルス準優勝者。2001年の全米オープン女子ダブルスで、キンバリー・ポー・メッセーリ(アメリカ)とペアを組んだ準優勝もある。身長165cm、体重63kgと小柄な体格の選手で、独特な片手打ちのバックハンド・スライス(逆回転のボール)とネット・プレーを最も得意にした。WTAツアーでシングルス8勝、ダブルス25勝を挙げた。ウィンブルドン準優勝の後、30歳を過ぎてから世界ランキングトップ10に定着した、女子プロテニス界では遅咲きの選手だった。
トージアは中央アフリカ共和国の首都・バンギで生まれ、8歳まで当地で過ごした。4大大会初出場は16歳の時で、1984年の全仏オープンであった。地元の同大会では、7年後の1991年に出したベスト8進出が自己最高記録である。この時は4回戦で日本の沢松奈生子選手に 7-5, 2-6, 12-10 で競り勝ったが、続く準々決勝でシュテフィ・グラフに 3-6, 2-6 で完敗した。(トージアはグラフには「21戦全敗」で、1セットも取れなかった。)
ウィンブルドンでは1992年、1997年にベスト8進出があり、1998年に30歳で初の決勝進出を果たす。これはフランスの女子テニス選手として、1925年のスザンヌ・ランラン以来「73年ぶり」の進出であった。その決勝戦ではヤナ・ノボトナに 4-6, 6-7 のストレートで敗れて準優勝になった。その後もウィンブルドンでは、1999年と2001年にベスト8進出がある。トージアのプレー・スタイルは、ウィンブルドン選手権で最大の威力を発揮した。
女子国別対抗戦・フェドカップでのフランス代表としての活動歴も長く、1997年のワールド・グループ1回戦でトージアは東京・有明コロシアムで沢松と再び 7-5, 4-6, 17-15 の激闘を戦っている。フランス・チームはこの年にフェドカップ初優勝を果たした。ところが2000年4月、トージアは『女子テニス界の裏側』という題名の暴露本を出版する。この著書にフランスのチームメートへの批判的な内容も含まれていたことで、彼女は同年のシドニー五輪のフランス代表を外された。
トージアは2001年のシーズンを最後に女子ツアー大会のシングルスから撤退したが、最後の4大大会シングルス出場となった同年の全米オープンは4回戦進出で終わった。ダブルスでは2003年まで現役を続行し、最後の試合出場は2003年全仏オープンの女子ダブルス1回戦であった。