「エルンスト・ヘフリガー」の版間の差分
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[[グラウビュンデン州]][[ダボス]]に生まれる。ヴィッティンゲンで教職課程に就いた後、[[チューリッヒ音楽院]](Zürich Konservatorium)で[[声楽]]と[[ヴァイオリン]]を学ぶ。その後は[[ジュネーヴ|ジュネーブ]]で[[フェルナンド・カプリ]]に、さらに[[ウィーン]]で[[ユリウス・パツァーク]]に師事する。 |
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明晰な発音ゆえに、[[オラトリオ]]歌手として、とりわけ[[ヨハン・ゼバスティアン・バッハ|バッハ]]の[[受難曲]]における福音記者役で著名であったが、それだけでなく(たとえば[[フリチャイ・フェレンツ|フリッチャイ]]指揮の)[[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]のオペラへの出演、また[[フランツ・シューベルト|シューベルト]]の[[歌曲]]の解釈でも有名だった。[[ヴィリー・ブルクハルト|ブルクハルト]]や[[オトマール・シェック|シェック]]、[[フランク・マルタン|マルタン]]、[[カール・オルフ|オルフ]]、[[ヴィルフリート・ヒラー|ヒラー]]らの作品のスイス初演を務める一方、歴史的な演奏様式の復興にも興味を示した音楽家の一人でもあった。 |
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[[1992年]]から[[1994年]]までの間、[[山田耕筰]]や[[中田喜直]]らの日本歌曲を[[ドイツ語]]訳で歌った[[コンパクトディスク|CD]]を発表して、日本で大きな話題となった。また、[[細川俊夫]]や[[イーゴリ・ストラヴィンスキー|ストラヴィンスキー]]らが和歌に曲付けした歌曲の録音も発表している。 |
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* [http://www.universal-music.co.jp/classics/release/m_topics/umcl200609/ernst_haefliger.html ヘフリガー/ドイツ語で歌う日本の歌曲] |
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2008年6月30日 (月) 14:33時点における版
クラシック音楽 |
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作曲家 |
ア-カ-サ-タ-ナ ハ-マ-ヤ-ラ-ワ |
音楽史 |
古代 - 中世 ルネサンス - バロック 古典派 - ロマン派 近代 - 現代 |
楽器 |
鍵盤楽器 - 弦楽器 木管楽器 - 金管楽器 打楽器 - 声楽 |
一覧 |
作曲家 - 曲名 交響曲 - ピアノ協奏曲 ピアノソナタ ヴァイオリン協奏曲 ヴァイオリンソナタ チェロ協奏曲 フルート協奏曲 弦楽四重奏曲 - オペラ 指揮者 - 演奏家 オーケストラ - 室内楽団 |
音楽理論/用語 |
音楽理論 - 演奏記号 |
演奏形態 |
器楽 - 声楽 宗教音楽 |
イベント |
音楽祭 |
メタ |
ポータル - プロジェクト カテゴリ |
エルンスト・ヘフリガー(Ernst Haefliger, 1919年7月6日 - 2007年3月17日)は、スイス出身の声楽家。テノール歌手として、国際的にオペラやオラトリオの上演や録音に活躍した。
経歴
グラウビュンデン州ダボスに生まれる。ヴィッティンゲンで教職課程に就いた後、チューリッヒ音楽院(Zürich Konservatorium)で声楽とヴァイオリンを学ぶ。その後はジュネーブでフェルナンド・カプリに、さらにウィーンでユリウス・パツァークに師事する。
1952年から1974年までベルリン・ドイツ・オペラの首席リリック・テノールを務める。1971年にミュンヘン高等音楽学校の声楽科教授に就任し、1988年まで教鞭を執った。さらにチューリッヒや米国でマスタークラスを主宰し、日本では草津国際音楽アカデミー&フェスティバルで長年に渡りマスタークラスで指導した。
明晰な発音ゆえに、オラトリオ歌手として、とりわけバッハの受難曲における福音記者役で著名であったが、それだけでなく(たとえばフリッチャイ指揮の)モーツァルトのオペラへの出演、またシューベルトの歌曲の解釈でも有名だった。ブルクハルトやシェック、マルタン、オルフ、ヒラーらの作品のスイス初演を務める一方、歴史的な演奏様式の復興にも興味を示した音楽家の一人でもあった。
1992年から1994年までの間、山田耕筰や中田喜直らの日本歌曲をドイツ語訳で歌ったCDを発表して、日本で大きな話題となった。また、細川俊夫やストラヴィンスキーらが和歌に曲付けした歌曲の録音も発表している。
エルンスト・ヘフリガー声楽コンクールが企画されてから、クシュタートとベルンで開催された2006年度のコンクールに至るまで、審査員長を務めた。
2007年3月17日、故郷のダボスで急性心不全のため死去した。87歳だった。息子のミヒャエルやアンドレアスもまた音楽家として活動している。