「マリー=ルイーズ・オミュルフィ」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
m ロボットによる 追加: br:Marie-Louise O'Murphy |
m ロボットによる 変更: de:Marie-Louise O’Murphy |
||
13行目: | 13行目: | ||
[[bg:Мари-Луиз О`Мърфи]] |
[[bg:Мари-Луиз О`Мърфи]] |
||
[[br:Marie-Louise O'Murphy]] |
[[br:Marie-Louise O'Murphy]] |
||
[[de:Marie-Louise |
[[de:Marie-Louise O’Murphy]] |
||
[[en:Marie-Louise O'Murphy]] |
[[en:Marie-Louise O'Murphy]] |
||
[[et:Marie-Louise O'Murphy]] |
[[et:Marie-Louise O'Murphy]] |
2008年4月16日 (水) 06:23時点における版
マリー=ルイーズ・オミュルフィ(Marie-Louise O'Murphy, 1737年10月21日? - 1814年12月11日)はフランス王ルイ15世の愛人の1人。フランスのルーアンで生まれたアイルランド人兵士の娘といわれている。
父の死後、母親は家族を連れてパリに出たが、オミュルフィはヌード画のマネキンとして働いていた。1752年、フランソワ・ブーシェが描いた裸体画が評判になると、オミュルフィはルイ15世の公妾ポンパドゥール夫人が開設したという娼館鹿の園に招かれ、ルイ15世に性的奉仕を行ったという。
ルイ15世との間に夭逝の女子と一人の男子をもうけたが、男子は将校に取り立てられ、後にベリュイゥイ将軍を名乗ったという。鹿の園での性的奉仕は原則として短期間とされたため、彼女自身は鹿の園を出て良縁を紹介され、年金支給を受けて余生を送ったが、フランス革命期間中は投獄されたこともあったと伝えられている。