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土浦藩主・土屋数直の長男として生まれ、父の死後土浦藩を相続。その後駿河田中を経て、土浦に復帰。漸次加増をうけ、最終的に9万5000石となる。老中として4人の将軍に仕えたが、[[側用人]]制度には内心反対し、ポスト家継の後継争いの際、側用人の廃止を条件とし、徳川吉宗の擁立に尽力する。吉宗は将軍につくと、老中たちに口頭試問をしたが、なんとか恥を掻かずに済んだのは3問中2問を答えられた政直のみであった逸話は有名。 |
土浦藩主・土屋数直の長男として生まれ、父の死後土浦藩を相続。その後駿河田中を経て、土浦に復帰。漸次加増をうけ、最終的に9万5000石となる。老中として4人の将軍に仕えたが、[[側用人]]制度には内心反対し、ポスト家継の後継争いの際、側用人の廃止を条件とし、徳川吉宗の擁立に尽力する。吉宗は将軍につくと、老中たちに口頭試問をしたが、なんとか恥を掻かずに済んだのは3問中2問を答えられた政直のみであった逸話は有名。 |
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享保4年([[1719年]])、老中を辞する。辞任 |
享保4年([[1719年]])、老中を辞する。辞任・隠居後もとくに前官礼遇を受けた。また、茶道を嗜み、小堀政一の門人の一人でもある。 |
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※[[赤穂浪士]]が吉良邸討ち入りの際、隣家の[[土屋逵直|土屋主税逵直]]は、政直からみて伯父[[土屋利直|民部少輔利直]]の孫にあたる。逵直の次男[[土屋好直|好直]]を政直の養子としている。 |
※[[赤穂浪士]]が吉良邸討ち入りの際、隣家の[[土屋逵直|土屋主税逵直]]は、政直からみて伯父[[土屋利直|民部少輔利直]]の孫にあたる。逵直の次男[[土屋好直|好直]]を政直の養子としている。 |
2008年3月20日 (木) 04:09時点における版
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生誕 | 寛永18年2月5日(1641年3月16日) |
死没 | 享保7年11月16日(1722年12月23日) |
別名 | 左門 |
戒名 | 俊翁耆徳相院 |
主君 | 徳川家綱、徳川綱吉、徳川家宣、徳川家継、徳川吉宗 |
藩 | 常陸土浦→駿河田中→常陸土浦 |
父母 | 父:土屋数直、母:水野忠貞の娘 |
妻 | 正室:松平康信の娘 継室:六条有知の娘(再婚) |
子 | 土屋昭直(次男)、土屋定直(三男) 土屋陳直(四男)、娘(松平乗邑正室) 娘(岡部長敬正室)、娘(内藤義孝正室) 養子:土屋好直 |
土屋 政直(つちや まさなお)は、江戸時代の大名、老中。常陸国土浦藩主、駿河国田中藩主。
土浦藩主・土屋数直の長男として生まれ、父の死後土浦藩を相続。その後駿河田中を経て、土浦に復帰。漸次加増をうけ、最終的に9万5000石となる。老中として4人の将軍に仕えたが、側用人制度には内心反対し、ポスト家継の後継争いの際、側用人の廃止を条件とし、徳川吉宗の擁立に尽力する。吉宗は将軍につくと、老中たちに口頭試問をしたが、なんとか恥を掻かずに済んだのは3問中2問を答えられた政直のみであった逸話は有名。
享保4年(1719年)、老中を辞する。辞任・隠居後もとくに前官礼遇を受けた。また、茶道を嗜み、小堀政一の門人の一人でもある。
※赤穂浪士が吉良邸討ち入りの際、隣家の土屋主税逵直は、政直からみて伯父民部少輔利直の孫にあたる。逵直の次男好直を政直の養子としている。
経歴
※日付=旧暦
- 1641年(寛永18年)2月5日、誕生。左門を称す。
- 1679年(延宝7年)4月2日、父数直卒、 5月10日、土浦藩家督相続、 9月13日、奏者番に就任。
- 1682年(天和2年)2月、駿河国田中に国替
- 1684年(貞享元年)7月10日、大坂城代に異動。 加増(2万石)
- 1685年(貞享2年)9月27日、京都所司代に異動。
- 1687年(貞享4年)10月13日、老中に異動、常陸国土浦に国替。1万石加増。
- 1694年(元禄7年)4月21日、加増(1万石)
- 1698年(元禄11年)9月17日、老中首座に就任。
- 1711年(正徳元年)12月、加増(1万石)
- 1718年(享保3年)3月3日、老中免、加増(1万石)
- 1719年(享保4年)5月28日、隠居致仕
- 1722年(享保7年)11月16日死去、享年82。
官職位階履歴
※日付=旧暦
墓地:海禅院(東京都台東区)
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