「名鉄谷汲線」の版間の差分

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== 歴史 ==
== 歴史 ==
*[[1926年]](大正15年)[[625日]] 谷汲鉄道が黒野~谷汲間を開業。
*[[1926年]](大正15年)[[46日]] 谷汲鉄道が黒野~谷汲間を開業。
*[[1944年]](昭和19年) 黒野西口駅、豊木駅、八王子坂駅、長瀬茶所駅が休止。
*[[1944年]](昭和19年) 黒野西口駅、豊木駅、八王子坂駅、長瀬茶所駅が休止。
*1944年(昭和19年)[[3月1日]] 名古屋鉄道が谷汲鉄道を合併。谷汲線となる。
*1944年(昭和19年)[[3月1日]] 名古屋鉄道が谷汲鉄道を合併。谷汲線となる。

2007年12月1日 (土) 02:47時点における版

谷汲駅停車中のモ750形

谷汲線(たにぐみせん)は、岐阜県揖斐郡大野町黒野駅から同郡谷汲村(現揖斐川町)の谷汲駅までを結んでいた名古屋鉄道(名鉄)の鉄道路線

運賃計算区分はC(運賃計算に用いる距離は営業キロの1.25倍)。

路線データ

※特記なければ路線廃止時点のもの。

  • 路線距離(営業キロ):11.2km
  • 軌間:1067mm
  • 駅数:9駅(起終点駅含む)
  • 複線区間:なし(全線単線)
  • 電化区間:全線電化(直流600V)
  • 閉塞方式:スタフ閉塞式(平時)
    平時は黒野-谷汲間をスタフ閉塞式で一閉塞区間としていたが、谷汲山命日や観光時期の列車増発時には北野畑に運転要員を派遣し、黒野-北野畑間を票券閉塞式、北野畑-谷汲間をスタフ閉塞式に閉塞を分割して運行した。

運行形態

全て、普通列車のワンマン運転であった。朝の6~8時台では、黒野~谷汲間で30分間隔で毎時2往復、その他は終電まで60分間隔で、毎時1往復運転されていた。ただし、毎月18日の谷汲山命日とシーズンの特定日、廃線間際には、臨時列車数往復が増発されて、日中(11時~15時)も毎時2往復運転されていた。この臨時列車にはモ510形の513・514号の2両編成で、車掌がいた。単線のため、30分間隔で運行する時は途中、北野畑駅で列車の行き違いを行っていた。なお末期は朝夕も50分間隔となり、特定日以外の北野畑駅での行き違いを行わなくなっていた。

歴史

  • 1926年(大正15年)4月6日 谷汲鉄道が黒野~谷汲間を開業。
  • 1944年(昭和19年) 黒野西口駅、豊木駅、八王子坂駅、長瀬茶所駅が休止。
  • 1944年(昭和19年)3月1日 名古屋鉄道が谷汲鉄道を合併。谷汲線となる。
  • 1946年(昭和21年)9月16日 豊木駅営業再開。
  • 1958年(昭和33年)5月1日 長瀬茶所駅が廃止。
  • 1968年(昭和43年)8月5日 揖斐線・岐阜市内線直通の急行を新設。
  • 1969年(昭和44年)4月5日 黒野西口駅、八王子坂駅が廃止。
  • 1984年(昭和59年)3月20日 急行廃止。
  • 1984年(昭和59年)10月16日 閑散時ワンマン運転開始。
  • 1990年(平成2年)4月23日 結城駅が廃止。
  • 2001年(平成13年)10月1日 全線(黒野~谷汲間)が廃止。名阪近鉄バスにより廃止代替バス運転開始。
  • 2005年(平成17年)10月1日 名阪近鉄バス谷汲黒野線(代替バス)廃止。

駅一覧

廃止前時点では普通列車のみ運行。全列車、各駅に停車。

駅名 営業キロ 接続路線 所在地
黒野駅 0.0 名古屋鉄道:揖斐線 岐阜県 揖斐郡大野町
*黒野西口駅 -  
黒野北口駅 0.9  
豊木駅 2.0  
稲富駅 2.8  
更地駅 3.9  
*八王子坂駅 -  
北野畑駅 5.8  
赤石駅 6.9   揖斐郡谷汲村
(現・揖斐川町
長瀬駅 8.4  
*長瀬茶所駅 -  
*結城駅 10.2  
谷汲駅 11.2  
  • 駅名・接続路線名は廃止時点、所在地は路線廃止時点のもの。
  • *印の駅は路線廃止前に廃止された駅(廃止日は歴史参照)

関連項目