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[[1950年]](昭和25年)[[兵庫県]][[相生市]]生まれ。
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[[日本大学]]理工学部を経て、[[三光汽船]]に入社し17年間の会社員生活を送る。[[1992年]](平成4年)の参院選でトップ当選。[[1996年]](平成8年)、父[[河本敏夫]]の引退をうけて兵庫12区から[[第41回衆議院議員総選挙]]に立候補し、初当選する。同じ年の11月に、第2次橋本内閣で経済企画政務次官に就任し、その後、自由民主党国会対策副委員長などの要職に就任する。
[[日本大学]]理工学部を経て、[[三光汽船]]に入社し17年間の会社員生活を送る。[[1992年]](平成4年)の参院選でトップ当選。[[1996年]](平成8年)、父[[河本敏夫]]の引退をうけて[[兵庫県第12区|兵庫12区]]から[[第41回衆議院議員総選挙]]に立候補し、初当選する。同じ年の11月に、第2次橋本内閣で経済企画政務次官に就任し、その後、自由民主党国会対策副委員長などの要職に就任する。


[[2000年]](平成12年)の[[第42回衆議院議員総選挙]]で惜敗するも、[[2003年]](平成15年)の[[第43回衆議院議員総選挙]]で返り咲く。以来、衆議院内閣委員会筆頭理事や自民党副幹事長等の役職を務めている。
[[2000年]](平成12年)の[[第42回衆議院議員総選挙]]で惜敗するも、[[2003年]](平成15年)の[[第43回衆議院議員総選挙]]で返り咲く。以来、衆議院内閣委員会筆頭理事や自民党副幹事長等の役職を務めている。


[[番町政策研究所]](高村派)に所属し、[[高村正彦]]とともに活動している。[[2005年]](平成17年)、[[第3次小泉改造内閣]]の文部科学副大臣に就任する。2006年秋の内閣総辞職後、[[衆議院]][[内閣委員会]]委員長に就任する。
[[番町政策研究所]](高村派)に所属し、[[高村正彦]]とともに活動している。[[2005年]](平成17年)、[[第3次小泉改造内閣]]の文部科学副大臣に就任する。2006年秋の内閣総辞職後、[[衆議院]][[内閣委員会]]委員長に就任する。



== 年譜 ==
== 年譜 ==

2007年11月4日 (日) 11:09時点における版

日本の旗衆議院議員 河本 三郎
生年月日 (1950-09-07) 1950年9月7日(73歳)
出身地 兵庫県相生市
出身校 日本大学理工学部卒業
学位・資格 学士
前職 三光汽船社員
所属委員会 衆議院内閣委員会
世襲 二世
父・河本敏夫
選出選挙区 兵庫12区
当選回数 3回(参議院1回)
所属党派 自由民主党(高村派)
党役職 -
会館部屋番号 衆議院第一議員会館241号室
ウェブサイト ~迷いなき、まっすぐな道。
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河本三郎(こうもと さぶろう、1950年9月7日 - )は、日本の政治家自由民主党所属の衆議院議員(3期)。(参議院議員1期)。父は河本敏夫


概要

1950年(昭和25年)兵庫県相生市生まれ。

日本大学理工学部を経て、三光汽船に入社し17年間の会社員生活を送る。1992年(平成4年)の参院選でトップ当選。1996年(平成8年)、父河本敏夫の引退をうけて兵庫12区から第41回衆議院議員総選挙に立候補し、初当選する。同じ年の11月に、第2次橋本内閣で経済企画政務次官に就任し、その後、自由民主党国会対策副委員長などの要職に就任する。

2000年(平成12年)の第42回衆議院議員総選挙で惜敗するも、2003年(平成15年)の第43回衆議院議員総選挙で返り咲く。以来、衆議院内閣委員会筆頭理事や自民党副幹事長等の役職を務めている。

番町政策研究所(高村派)に所属し、高村正彦とともに活動している。2005年(平成17年)、第3次小泉改造内閣の文部科学副大臣に就任する。2006年秋の内閣総辞職後、衆議院内閣委員会委員長に就任する。

年譜


家族

  • 妻と二男


外部リンク