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2007年10月14日 (日) 07:27時点における版
アーベル(Abel、1218年 - 1252年6月29日)は、デンマーク王(在位1250年 - 1252年)。兄エーリク4世の死を受けて即位したが、2年もたたないうちに戦死した。
アーベルはヴァルデマー2世とその妃ベレンガリアの子として生まれた。母ベレンガリアはポルトガル国王サンシュ1世と王妃ドゥルセの娘で、ドゥルセはバルセロナ伯爵ラモン・ベレンゲル4世とアラゴン女王ペトロニラの娘だった。
エーリク4世がアーベルとの1年にわたる対立の末、アーベルの2人の部下によって殺害されたので、スレースヴィ(シュレースヴィヒ)公(在位:1232年 - 1252年)であったアーベルは1250年11月1日に王位を継承した。アーベルと24人の貴族達は「アーベルはエーリク4世の殺害に関与していない」という公式の宣言(2ダースの宣言(dobbelt tylvter-ed)と呼ばれる)を発表したが、エーリク4世はアーベルの命令によって殺害されたと広く信じられた(現在でも)。そこで世間では『旧約聖書』創世記の故事にちなんで、「号はアベル、業はカイン("Abel af navn, Kain af gavn")」と囁かれた。
しかしながら、アーベルと王妃メヒティルドはアーベルが1252年6月29日に戦死するまでの1年半の間しか統治できなかった。そのとき息子のヴァルデマーは身代金のためにケルン大司教に捕らえられていたため、エリークとアーベルの最年少の弟がクリストファ1世として1252年のクリスマスに即位した。
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