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2007年5月20日 (日) 19:48時点における版
プシェミスル朝(Dynastie Přemyslovců)は、ボヘミア(ベーメン)の王朝。1306年に断絶するまで続いた。ボヘミアの一君主であったが、13世紀にオタカル2世は、オーストリア大公の地位に就き、大空位時代の神聖ローマ帝国に皇帝として推挙されている(ハプスブルク家に敗れた)。さらに13世紀後半、ポーランド王も兼ねたヴァーツラフ2世のもとで最盛期を誇るが、息子である次王ヴァーツラフ3世が殺害され断絶した。
歴代君主一覧
ボヘミア公
- ボジヴォイ1世(Bořivoj I.)
- スピチフニェフ1世(Spytihněv I.)
- ヴラチスラフ1世(Vratislav I.)
- ヴァーツラフ1世(Václav I.)
- ボレスラフ1世(Boleslav I.)
- ボレスラフ2世(Boleslav II.)
- ボレスラフ3世(Boleslav III.)
- ヴラジヴォイ(Vladivoj)
- ヤロミール(Jaromír)
- オルドジフ(Oldřich)
- ブジェチスラフ1世(Břetislav I.)
- スピチフニェフ2世(Spytihněv II.)
- ヴラチスラフ2世(Vratislav II.)
- コンラート1世(Konrád I.)
- ブジェチスラフ2世(Břetislav II.)
- ボジヴォイ2世(Bořivoj II.)
- スヴァトプルク(Svatopluk)
- ヴラジスラフ1世(Vladislav I.)
- ソビェスラフ1世(Soběslav I.)
- ヴラジスラフ2世(Vladislav II.)
- ベドジフ(Bedřich)
- ソビェスラフ2世(Soběslav II.)
- オタカル1世(Přemysl Otakar I.)
ボヘミア王
- オタカル1世(Přemysl Otakar I.)
- ヴァーツラフ1世(Václav I.)
- オタカル2世(Přemysl Otakar II.)
- ヴァーツラフ2世(Václav II.)
- ヴァーツラフ3世(Václav III.)
(日本語表記は『世界各国史19ドナウ・ヨーロッパ史(山川出版社)』に基づく)