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'''ウィリー・ディクスン'''('''Willie Dixon'''、本名:William James Dixon、[[1915年]][[7月1日]] - [[1992年]][[1月29日]])は、[[アメリカ合衆国]][[ミシシッピー州]]ヴィックスバーグ生まれの[[作曲家|ソングライター]]、[[プロデューサー]]、[[ベーシスト]]、[[歌手]]。[[ブルース]]界を影で支えてきた男。 |
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== 略歴 == |
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*プロ・ボクサーとして活動したのち、[[1936年]]にシカゴに移住。音楽活動を本格化させる。 |
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*1940年代後半、ザ・ビッグ・スリー・トリオの[[ベーシスト]]として活動。 |
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*1951年にザ・ビッグ・スリー・トリオが解散した後、[[チェス・レコード]]のスタジオ・ワークに関わる。 |
*1951年にザ・ビッグ・スリー・トリオが解散した後、[[チェス・レコード]]のスタジオ・ワークに関わる。 |
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*1954年、ウィリーが作詞・作曲した「フーチー・クーチー・マン」が、[[マディ・ウォーターズ]]の歌で大ヒット。以後、[[ソングライター]]/[[プロデューサー]]として手腕を振るう。 |
*1954年、ウィリーが作詞・作曲した「フーチー・クーチー・マン」が、[[マディ・ウォーターズ]]の歌で大ヒット。以後、[[作曲家|ソングライター]]/[[プロデューサー]]、[[ベーシスト]]として手腕を振るう。 |
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*自分で歌うことは少ないが、[[ブルース・ロック]]の流行を受けて、珍しく自己名義のアルバム『アイ・アム・ザ・ブルース』を発表。 |
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*[[ジョニー・ウィンター]]のメジャー・デビュー作『ジョニー・ウィンター』にも、ベーシストとしてゲスト参加した。 |
*[[ジョニー・ウィンター]]のメジャー・デビュー作『ジョニー・ウィンター』にも、ベーシストとしてゲスト参加した。 |
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*80年代の初頭にシカゴから南カリフォルニアへ移住。 |
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*[[1984年]]にブルースの振興とブルース・アーティストの支援を目的にブルース・ヘヴン・ファウンデーションを設立。ディクソンの死後の[[1993年]]、彼の遺族が旧[[チェス・レコード]]の建物を買い取り、ファウンデーションの本部とした。 |
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*[[1989年]]には、自伝「I Am The Blues: The Willie Dixon Story」を出版した。 |
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*裏方の印象が強いが、自己名義のアルバムも複数発表している。特に[[1981年]]にレコーディングされた"It Don't Make Sense (You Can't Make Peace)"(アルバム「Mighty Earthquake And Hurricane」収録)は、名作と名高い。 |
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== 主な提供楽曲 == |
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彼の曲は、多くのブルースマンに取り上げられ、その遺伝子は[[ロック (音楽)|ロック]]にも引き継がれた。 |
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*マディ・ウォーターズ:「フーチー・クーチー・マン」、「アイ・ジャスト・ウォント・トゥ・メイク・ラヴ・トゥ・ユー」、「アイム・レディ」、「ユー・ニード・ラヴ」 |
*[[マディ・ウォーターズ]]:「フーチー・クーチー・マン」、「アイ・ジャスト・ウォント・トゥ・メイク・ラヴ・トゥ・ユー」、「アイム・レディ」、「ユー・ニード・ラヴ」 |
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*[[ハウリン・ウルフ]]:「ザ・レッド・ルースター」、「スプーンフル」、「ビルト・フォー・コンフォート」、「アイ・エイント・スーパースティシャス」 |
*[[ハウリン・ウルフ]]:「ザ・レッド・ルースター」、「スプーンフル」、「ビルト・フォー・コンフォート」、「アイ・エイント・スーパースティシャス」 |
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*[[ボ・ディドリー]]:「プリティ・シング」 |
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*[[バディ・ガイ]]:「ブロークン・ハーテッド・ブルース」、「クレイジー・ラヴ」 |
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==ディスコグラフィー== |
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* [[1970年]] 「I Am The Blues」(Columbia) |
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* [[1973年]] 「Catalyst」(Ovation) |
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* [[1983年]] 「Mighty Eathquake And Hurricane」(Mighty Tiger) |
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* [[1985年]] 「Live (Backstage Access)」(Pausa) |
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* [[1989年]] 「Ginger Ale Afternoon」(Varese Sarabande) |
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===編集盤=== |
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* [[1988年]] 「The Chess Box」(MCA/Chess) |
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* [[1990年]] 「The Big Three Trio」(Columbia/Legacy) |
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* [[1996年]] 「The Original Wang Dang Doodle/The Chess Recordings & More」(MCA/Chess) |
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== 関連項目 == |
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*[[ブルース]] |
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*[[ローリング・ストーンズ]] |
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== 外部リンク == |
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*[http://www.bluesheaven.com/ Blues Heaven Foundation] (英語) |
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2007年3月22日 (木) 14:44時点における版
ウィリー・ディクスン(Willie Dixon、本名:William James Dixon、1915年7月1日 - 1992年1月29日)は、アメリカ合衆国ミシシッピー州ヴィックスバーグ生まれのソングライター、プロデューサー、ベーシスト、歌手。ブルース界を影で支えてきた男。
略歴
- プロ・ボクサーとして活動したのち、1936年にシカゴに移住。音楽活動を本格化させる。
- 1940年代後半、ザ・ビッグ・スリー・トリオのベーシストとして活動。
- 1951年にザ・ビッグ・スリー・トリオが解散した後、チェス・レコードのスタジオ・ワークに関わる。
- 1954年、ウィリーが作詞・作曲した「フーチー・クーチー・マン」が、マディ・ウォーターズの歌で大ヒット。以後、ソングライター/プロデューサー、ベーシストとして手腕を振るう。
- ジョニー・ウィンターのメジャー・デビュー作『ジョニー・ウィンター』にも、ベーシストとしてゲスト参加した。
- 80年代の初頭にシカゴから南カリフォルニアへ移住。
- 1984年にブルースの振興とブルース・アーティストの支援を目的にブルース・ヘヴン・ファウンデーションを設立。ディクソンの死後の1993年、彼の遺族が旧チェス・レコードの建物を買い取り、ファウンデーションの本部とした。
- 1989年には、自伝「I Am The Blues: The Willie Dixon Story」を出版した。
- 1992年1月29日、心不全のためカリフォルニア州バーバンクのセントジョセフ医療センターにて死去した。享年76歳。
- 裏方の印象が強いが、自己名義のアルバムも複数発表している。特に1981年にレコーディングされた"It Don't Make Sense (You Can't Make Peace)"(アルバム「Mighty Earthquake And Hurricane」収録)は、名作と名高い。
主な提供楽曲
彼の曲は、多くのブルースマンに取り上げられ、その遺伝子はロックにも引き継がれた。
- マディ・ウォーターズ:「フーチー・クーチー・マン」、「アイ・ジャスト・ウォント・トゥ・メイク・ラヴ・トゥ・ユー」、「アイム・レディ」、「ユー・ニード・ラヴ」
- ハウリン・ウルフ:「ザ・レッド・ルースター」、「スプーンフル」、「ビルト・フォー・コンフォート」、「アイ・エイント・スーパースティシャス」
- サニー・ボーイ・ウィリアムスン:「ブリング・イット・オン・ホーム」
- オーティス・ラッシュ:「アイ・キャント・クイット・ユー、ベイビー」
- ボ・ディドリー:「プリティ・シング」
- バディ・ガイ:「ブロークン・ハーテッド・ブルース」、「クレイジー・ラヴ」
ディスコグラフィー
- 1970年 「I Am The Blues」(Columbia)
- 1973年 「Catalyst」(Ovation)
- 1983年 「Mighty Eathquake And Hurricane」(Mighty Tiger)
- 1985年 「Live (Backstage Access)」(Pausa)
- 1989年 「Ginger Ale Afternoon」(Varese Sarabande)
編集盤
- 1988年 「The Chess Box」(MCA/Chess)
- 1990年 「The Big Three Trio」(Columbia/Legacy)
- 1996年 「The Original Wang Dang Doodle/The Chess Recordings & More」(MCA/Chess)