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2004年11月3日 (水) 11:15時点における版
元弘(げんこう)は、日本の元号のひとつ。1331年8月9日~1334年1月29日の期間を指す。元徳の後、建武の前。
改元
1331年5月5日に後醍醐天皇を中心とした倒幕計画が発覚、それに関わった者たちに対する鎌倉幕府による厳しい追及が行われる中、後醍醐天皇は「元徳」から「元弘」へと改元するが幕府はこれを認めず「元徳」を使い続けるとともに、光厳天皇を新たな天皇として即位させる。1332年には後醍醐天皇は隠岐への遠流に処されたが、めげることなく「元弘」を使い続け、ついに1333年隠岐を脱出し幕府を滅すにいたる。後醍醐天皇の遠流中に光厳天皇によって定められた年号「正慶」は鎌倉幕府滅亡とともに使われなくなった。
出典
元弘期におきた出来事
- 元年
- 8月、後醍醐天皇が京都を脱出し、三種の神器を持って笠置山へ入る(元弘の乱)。
- 9月、楠木正成が河内国赤坂城で挙兵する。笠置が落城して後醍醐が捕縛される。鎌倉幕府が光厳天皇を擁立し即位させる。
- 10月、三種の神器が接収される。
- 2年
- 3年
- 2月、赤坂城が落城する。後醍醐天皇が隠岐島を脱出するる。
- 5月、足利尊氏や赤松則村(円心)ら後醍醐方に呼応し京都の六波羅探題を滅亡、新田義貞らにより鎌倉幕府が滅亡する。
- 6月、後醍醐天皇が入京し、記録所を復活させるなど建武の新政を開始する。
- 10月、北畠親房・北畠顕家が義良親王(後村上天皇)を奉じて陸奥国へ向かう。
- 12月、足利直義が成良親王を奉じて鎌倉へ向かう。
- 北条氏残党の反乱が活発化する。
- 死去
グレゴリオ暦との対照表
関連項目
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