コンテンツにスキップ

牧野定成

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
牧野定成
時代 江戸時代前期
生誕 元和3年(1617年
死没 万治元年10月7日1658年11月2日
改名 直成、定成
戒名 一山
墓所 西応寺町の西応寺
官位 播磨守
幕府 江戸幕府 旗本
主君 徳川家光家綱
越後三根山領主
氏族 牧野氏
父母 牧野忠成
兄弟 光成、嶺秀院、花形院、康成朝成
定成忠清、於吉
内藤政次
大田原高清室、忠清牧野忠成継室
テンプレートを表示

牧野 定成(まきの さだなり)は、江戸時代前期の旗本寄合播磨守越後国三根山領主。子孫は後に大名となる。

略歴

[編集]

牧野忠成の四男として誕生。初名は直成。

寛永11年(1634年)、父の領内より6000石分知をされ、旗本寄合席、三根山領主となる。その後、暇を乞い、三根山に赴く。男子に恵まれず、万治元年(1658年)の死に臨んで弟の忠清が養嗣子となり、家督を継いだ。また、養女(花輪宗親の娘)を牧野忠成越後長岡藩2代藩主)の継室としている。享年42、法名は一山。西応寺町(東京都港区芝2丁目)の西応寺に葬られ、以後代々の葬地となる。

系譜

[編集]

脚注

[編集]

注釈

[編集]

出典

[編集]