湊橋 (土佐堀川)

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湊橋(奥・下)と阪神高速3号神戸線中之島西入口の入路(手前)

湊橋(みなとばし)は、大阪市北区中之島6丁目と大阪市西区土佐堀3丁目を結ぶ、土佐堀川に架かる新なにわ筋大阪府道29号大阪臨海線)の

歴史[編集]

貞享元禄年間に行われた堂島新地の開発の際に中之島の西端部にも新築地が形成され、その際に架橋された。また、新築地は当橋の名を取って湊橋町と名付けられ、1872年明治5年)の町名改編まで存在した。

もとの架橋地点は少し上流側だったが、更正第一次都市計画事業による江戸堀福島線の敷設に伴って、まず、当橋と対になる上船津橋堂島川)が1936年昭和11年)に架橋され、当橋も1940年(昭和15年)に現在の位置に架け替えられた。

その後、新なにわ筋の一部区間として拡幅されることとなり、1982年(昭和57年)に現在の橋に架け替えられた。上流側(南行き)・下流側(北行き)とも幅員約17mで架橋され、頭上に阪神高速3号神戸線が通る二層構造となっており、橋脚基礎を共有している。また、ひとつ下流側の橋である端建蔵橋の北東袂から阪神高速3号神戸線中之島西入口の入路が土佐堀川上で半円を描いて当橋の下流側まで伸びている。

仕様[編集]

  • 桁橋
  • 橋長54.50m、幅17.35m×2本

小説「泥の河」舞台の地[編集]

湊橋の南西袂には、小説家宮本輝のデビュー作である「泥の河」の一節が刻まれている石碑がある。かつて橋のたもとには宮本の父親が営んでいた中華料理店があり[注釈 1]、宮本も9歳まで同地で過ごした[1]。「泥の河」はその時の体験を元に書かれたもので、物語の中には「湊橋」の地名も登場する[1]

小説「泥の河」舞台の地碑は宮本の母校である追手門学院大学の同窓生や、地元の江戸堀連合振興町会の呼びかけで建立されたもので、2011年6月5日に除幕式が開かれた[2][3]

周辺情報[編集]

地図[編集]

交通アクセス[編集]

バス[編集]

鉄道[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 現在は高速道路の入り口となっている

脚注[編集]

  1. ^ a b 舞台の遺伝子=泥の河 舟の家めぐる悲哀 変貌する町と不変の祭り.『産経新聞(大阪)』.2014年07月12日付夕刊、1面
  2. ^ 大阪ええトコ再発見! 大阪ミュージアム構想(51)=中之島のまちなみ 古き時代刻む石碑が完成.『大阪日日新聞』.2011年06月12日付朝刊、22面
  3. ^ 小説「泥の河」の文学碑が建立されました【平成23年6月5日】 大阪市西区ホームページ (2011年7月7日). 2015年8月13日閲覧

外部リンク[編集]

座標: 北緯34度41分9.0秒 東経135度29分2.0秒 / 北緯34.685833度 東経135.483889度 / 34.685833; 135.483889