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渋江好胤

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
渋江好胤
時代 戦国時代
生誕 不明
死没 天正18年(1590年
別名 弥十郎[1]
官位 紀伊守[1]
主君 足利義氏北条氏康
氏族 千葉氏庶流渋江氏
父母 渋江景胤[1]
重胤氏胤[1]
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渋江 好胤(しぶえ よしたね)は、戦国時代武将

経歴・人物

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渋江氏は千葉氏庶流で代々武蔵国岩槻渋江に住んだ氏族である[1]

好胤は、はじめ足利義氏、のち北条氏康に仕える[1]。氏康の時、常陸国小田城小田氏治との和睦の使者を務めた褒美として武蔵国足立郡浦寺郷にて采地を賜う[2][1]天正18年(1590年小田原征伐にて戦死した[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h 寛政重修諸家譜』巻第五百八十七
  2. ^ 下山治久『戦国時代年表後北条氏編』 東京堂出版、p.133 (2010)