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洲原神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
洲原神社
洲原神社本殿
所在地 岐阜県美濃市須原468-1-1
位置 北緯35度35分33秒 東経136度56分54.6秒 / 北緯35.59250度 東経136.948500度 / 35.59250; 136.948500
主祭神 本文参照 
社格 金幣社 
創建 養老5年(721年
例祭 4月第一日曜日
主な神事 垢離取祭、神送り祭
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洲原神社(すはらじんじゃ)は、岐阜県美濃市にある神社である。

概要

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全国に四十九社ある洲原神社(または須原神社)の本山。正一位洲原白山ともいう。白山登頂に至るまでの美濃馬場からの前宮であり、長瀧白山神社・白山中居神社とともに白山信仰の対象である。豊作、厄除け、夫婦和合、子授けなどに利益(りやく)があるという。現在でも田畑に蒔く御砂や田畑札を受けに遠方より代参者が訪れお洲原さん、洲原大神様として親しまれている。

旧暦12月1日に近い日曜日には垢離取祭という白山大神をお迎えする特殊神事が行なわれる。また、旧暦4月8日に近い日曜日には白山大神を山に帰す神送り祭ならびに御田植祭が行われる。

現在の本殿は江戸時代初期のもので、岐阜県重要文化財に指定されている[1]

祭神

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文化財

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天然記念物(国指定)
岐阜県指定天然記念物
  • 洲原神社社叢[3]
岐阜県指定重要文化財
  • 洲原神社本殿(中央本殿、東本殿、西本殿)[1]
  • 商船之図絵馬[4]
  • 能面(小べし見、大べし見、悪尉)[5]
  • 素地供物鉢[6]
  • 朱根来塗供物鉢[7]
  • 朱根来塗供物台[8]
  • 木製黒塗供物台[9]
美濃市指定文化財
  • 洲原神社拝殿[10]
  • 洲原神社舞殿[11]
  • 洲原神社楼門[12]

所在地

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  • 岐阜県美濃市須原468-1-1

交通手段

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歴史

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社伝によれば養老5年(721年)、泰澄により建立。以降明治時代に至るまで大家家、宮脇家および執行家の三神主家が神社を率いた。伝承によれば洲原白山成立以前に当地に所在した牛頭天王社の神主、宮元家が洲原社成立に伴い宮脇家に名を改めたとされる。大家家は泰澄禅師の弟の三神泰定を祖とする。また、執行家は元正天皇の病気平癒の祈願に派遣された伴安麿を祖とすると伝わる。

康正2年(1456年)、火災に遭って宝蔵が焼け落ち古記録も失った。天正17年から翌年にかけての太閤検地前には700貫に及ぶ所領を有していたが、検地後には大半を失い27石あまりとなった。その他には上河和村、下河和村、新部村、曽代村ならびに洲原村に神山を有していた。

戦国時代には観音院という別当寺が存在しており、天正17年(1589年)には実融、正保4年(1647年)は空政、寛文9年(1669年)には範遍が住職であったと伝わるが、延享2年(1745年)には無住となり廃絶した。享和元年(1801年)に元正帝との由縁から正一位の神階を宣下された。明治6年に郷社、明治12年には県社に列する。

脚注

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  1. ^ a b 洲原神社本殿”. 岐阜県. 2012年10月16日閲覧。
  2. ^ 洲原神社ブッポウソウ繁殖地”. 岐阜県. 2013年4月22日閲覧。
  3. ^ 洲原神社社叢”. 岐阜県. 2013年4月22日閲覧。
  4. ^ 商船之図絵馬”. 岐阜県. 2013年5月11日閲覧。
  5. ^ 能面(小べし見、大べし見、悪尉)”. 岐阜県. 2013年5月11日閲覧。
  6. ^ 素地供物鉢”. 岐阜県. 2013年5月12日閲覧。
  7. ^ 朱根来塗供物鉢”. 岐阜県. 2013年5月12日閲覧。
  8. ^ 朱根来塗供物台”. 岐阜県. 2013年5月12日閲覧。
  9. ^ 木製黒塗供物台”. 岐阜県. 2013年5月12日閲覧。
  10. ^ 洲原神社 拝殿”. 美濃市 (2008年11月10日). 2013年4月22日閲覧。
  11. ^ 洲原神社 舞殿”. 美濃市 (2008年11月10日). 2013年4月22日閲覧。
  12. ^ 洲原神社 楼門”. 美濃市 (2008年11月10日). 2013年4月22日閲覧。

外部リンク

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