コンテンツにスキップ

樋口長市

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
樋口長市
誕生 (1871-12-16) 1871年12月16日明治4年11月5日
松本県南安曇郡丸田村
(現:松本市
別名 梓渓(
死没 (1945-09-01) 1945年9月1日(73歳没)
職業 教育者
国籍 日本の旗 日本
最終学歴 高等師範学校文科
代表作 『生活教育学』(1935年)
『比較教育制度論』(1936年)
『特殊教育学』(1939年)
テンプレートを表示

樋口 長市(ひぐち ちょういち、1871年12月6日明治4年11月5日) − 1945年昭和20年)9月1日)は明治時代から昭和初期にかけての日本教育者

八大教育主張講演の論者の一人であり、「自学主義」を唱える。だがその「自学」とは、あくまで教科書を中心としたものであった。

経歴

[編集]

長野県南安曇郡丸田村(現・松本市)生まれ。1894年長野県師範学校1899年東京高等師範学校卒業。大阪府師範学校教諭、1903年東京府師範学校主事となる。1919年文部省からアメリカイギリスフランス留学を命じられ、「心身異常者に対する特殊教育の実際」を視察研究し、1921年に帰国。

東京高等師範学校教授であった1924年9月に、広島高等師範学校教授であった長田新とともに、臨時文部省視学官として長野県に派遣され、長野県松本女子師範学校付属小学校で川井訓導事件を引き起こした。1925年東京聾唖学校校長に就任。

著作

[編集]
  • 「余の教員生活と教育上の些細な仕事」(『教育』第3巻第1号、岩波書店、1935年1月)
著書

関連文献

[編集]
  • 樋口長市氏の自学主義と其批判」(渡部政盛著 『現今 改造的教育思潮批判』 大同館書店、1921年9月)
  • 大日本学術協会編修 『日本現代教育学大系 第六巻 小林澄兄氏教育学 真田幸憲氏教育学 樋口長市氏教育学 原田実氏教育学』 モナス、1927年9月 / 日本図書センター、1989年11月、ISBN 4820584707
  • 「前会長樋口先生を送る」(『聾唖教育』第42号、日本聾唖教育会、1937年12月)
  • 「樋口先生を偲ぶ」(『殿坂の友』第42号、東京聾唖学校同窓会、1938年7月)
  • 由良哲次 「樋口長市先生の学と人」(『教育学術界』第77巻第5号、モナス、1938年8月)
  • 西脇英逸 「解説」(前掲 『八大教育主張』 玉川大学出版部、1976年7月)
  • 平田勝政「樋口長市文献目録」『長崎大学教育学部教育科学研究報告』第52巻、長崎大学教育学部、1997年3月、25-39頁、ISSN 03882802NAID 110000375276 
  • 清野茂「梓渓生・樋口長市の人物像と教育に関する一考察:1920?1930年代のいくつかの事柄をとりあげて」『ろう教育科学』第47巻第2号、ろう教育科学会、2005年7月、85-98頁、ISSN 02871548NAID 40006839517 
  • 永井優美、近藤めぐみ 「樋口長市の自学主義教育論」(橋本美保、田中智志編著 『大正新教育の思想 : 生命の躍動』 東信堂、2015年7月、ISBN 9784798913001
  • 和崎光太郎「大正自由教育と「赤化思想」: 川井訓導事件とその周辺」『信濃 〔第3次〕』第59巻第10号、信濃史学会、2007年10月、753-770頁、doi:10.11501/11199578ISSN 02886987NAID 40015675125NDLJP:11199578 

関連項目

[編集]
公職
先代
小西信八
日本の旗 東京聾唖学校
1925年 - 1937年
次代
橋本綱太郎
その他の役職
先代
小西信八
日本聾唖教育会会長
1926年 - 1937年
次代
橋本綱太郎