森田政義
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森田政義 もりた まさよし | |
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生年月日 | 1884年9月29日 |
没年月日 | 1939年3月21日(54歳没) |
出身校 | 明治大学法科卒業 |
前職 | 弁護士 |
所属政党 |
(政友本党→) 立憲政友会 |
配偶者 | 森田トクノ |
子女 | 大屋政子 |
親族 | 娘婿・大屋晋三(運輸大臣) |
選挙区 |
(大阪府第6選挙区→) 大阪府第4選挙区 |
当選回数 | 6回 |
在任期間 |
1924年 - 1929年12月10日 1930年 - 1937年3月31日 1938年3月25日 - 1939年3月21日 |
森田 政義(もりた まさよし、明治17年(1884年)9月29日[1] - 昭和14年(1939年)3月21日)は、日本の弁護士、政治家。元衆議院議員(立憲政友会[2])。大阪府平民[3]。実業家・タレント大屋政子の父。
経歴
[編集]大正3年(1914年)明治大学法科を卒業[4]。弁護士試験合格[4]。大正9年(1920年)分家する[4]。大正13年(1924年)から衆議院議員を6期務め、立憲政友会総務となった[2]。昭和4年(1929年)12月、選挙法違反により衆議院議員を退職[5]。翌昭和5年(1930年)の第17回総選挙で復帰[6]。昭和12年(1937年)の第20回総選挙で落選する[7]が、翌昭和13年(1938年)同じ選挙区の西尾末広が議会から除名されたため、繰り上げ当選となる[8]。昭和14年(1939年)3月在職中に死去した[9]。
家族・親族
[編集]森田家
[編集]- 妻・トクノ(大阪、柴谷伊之助二女[4])
- 男・大造[4]
- 女・サジ[4]
脚注
[編集]- ^ 衆議院『第四十九回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1924年、4頁。
- ^ a b 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』628頁
- ^ 『人事興信録』 7版、モ三三
- ^ a b c d e f g h i j k l m 『人事興信録』 第11版(昭和12年)下、モ七〇
- ^ 『議会制度百年史 院内会派編衆議院の部』355頁。
- ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』94頁。
- ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』118頁。
- ^ 『議会制度百年史 院内会派編衆議院の部』427頁。
- ^ 『議会制度百年史 院内会派編衆議院の部』430頁。
参考文献
[編集]- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 院内会派編衆議院の部』大蔵省印刷局、1990年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』(2003年、編集・発行 - 日外アソシエーツ)628頁