柳煥吉
基本情報 | |
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本名 | 柳煥吉 |
階級 | スーパーフェザー級 |
身長 | 168cm |
国籍 | 大韓民国 |
誕生日 | 1962年9月23日 |
出身地 | 慶尚南道南海郡 |
死没地 | 2009年4月21日(46歳没) |
スタイル | サウスポー |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 31 |
勝ち | 26 |
KO勝ち | 11 |
敗け | 2 |
引き分け | 3 |
無効試合 | 0 |
柳 煥吉(リュ・ファンギル、朝鮮語: 류환길、英語: Hwan-Kil Yuh、1962年9月23日 - 2009年4月21日)は、大韓民国の元プロボクサー。慶尚南道南海郡出身。初代IBF世界スーパーフェザー級王者。
来歴
[編集]1979年3月18日、柳煥吉はプロデビューを果たし4回判定勝ちを収めた。
1979年9月9日、金容煥と対戦するが、連勝がストップする引き分けに終わった。
1980年3月24日、金賢と対戦し引き分けに終わった。
1980年11月15日、李容泌と対戦し引き分けに終わった。
1980年12月19日、安鉉と対戦し、初敗戦となる10回判定負けを喫した。
1981年6月7日、松島孝一と対戦し7回KO勝ちを収めた。
1981年12月6日、OPBF東洋太平洋フェザー級王者黄正漢と対戦し、12回判定勝ちを収め王座獲得に成功した。
1982年4月11日、スーバン・ムアンスリンと対戦し、12回判定勝ちを収め初防衛に成功した。
1982年6月13日、前OPBF東洋太平洋フェザー級王者黄正漢と6カ月ぶりの対戦を行い、12回判定勝ちを収め2度目の防衛に成功した。
1982年8月29日、ダヴィノ・イノシアンと対戦し12回判定勝ちを収め3度目の防衛に成功した。
1983年7月24日、レイ・タヤバンと対戦し7回KO勝ちを収めた。
1984年1月29日、エディー・カメロと対戦し6回KO勝ちを収めた。
1984年4月22日、ソウルでIBF世界スーパーフェザー級初代王座決定戦をOPBF東洋太平洋スーパーフェザー級王者ロッド・セケナンと行い、15回2-1の判定勝ちを収め王座獲得に成功した。
1984年9月16日、サク・ギャラクシーと対戦し、6回KO勝ちを収め初防衛に成功した。
1985年2月15日、メルボルンのフェスティバル・ホールでレスター・エリスと対戦し、15回1-2(142-145、143-147、147-144)の判定負けを喫し2度目の防衛に失敗し、王座から陥落した。
1985年11月17日、元OPBF東洋太平洋スーパーフェザー級王者文泰鎮と対戦し、10回判定勝ちを収めた試合を最後に現役を引退した。
引退後は飲食店を経営していたが、2006年に交通事故に遭って手足が不自由となった。2009年4月21日に3年の闘病生活の末、事故の傷が元で死去した[1]。46歳没。
獲得タイトル
[編集]脚注
[編集]- ^ 전 세계복싱 챔피언 류환길 별세 聯合ニュース 2009年4月22日
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]前王者 N/A |
IBF世界スーパーフェザー級王者 1984年4月22日 - 1985年2月15日 |
次王者 [[レスター・エリス]] |