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柳沢信門

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
柳沢信門
時代 江戸時代中期
生誕 享保18年(1733年
死没 明和7年5月12日1770年6月5日
別名 忠久、銕次郎、要人、八郎右衛門(通称
戒名 玄心
墓所 東京都新宿区市谷河田町正覚山月桂寺
幕府 江戸幕府 旗本
主君 徳川家重
氏族 大久保氏柳沢氏
父母 大久保忠恒、大久保忠重
柳沢信武
柳沢信武
聴信
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柳沢 信門(やなぎさわ のぶかど)は、江戸時代中期の旗本通称は忠久、銕次郎、要人、八郎右衛門。

旗本大久保忠恒の三男。母は大久保忠重の娘。柳沢信武の養子。子に聴信がいる。妻は柳沢信武の娘。

信門の死後、聴信が家督を継いだ。

年表

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※日付は旧暦

参考文献

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