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松平康泰

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
松平康泰
時代 江戸時代後期
生誕 嘉永2年(1849年
死没 元治元年11月18日1864年12月16日
改名 盤岩(幼名)、康泰
墓所 東京都港区虎ノ門天徳寺
官位 従五位下周防守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家茂
陸奥棚倉藩
氏族 松井松平家
父母 父:松平康圭、母:内藤政優の養女
兄弟 康泰、鈴子
養子:康英
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松平 康泰(まつだいら やすひろ)は、江戸時代後期の大名陸奥国棚倉藩の第3代藩主。官位従五位下周防守松井松平家11代。

略歴

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嘉永2年(1849年)、2代藩主・松平康圭の長男として誕生した。文久2年(1862年)、父の死去により家督を継いだ。しかし若年の上、病弱だったために藩政を執ることができず、江戸の藩邸で療養していた。

元治元年(1864年)11月18日に死去した。享年16。跡を旗本の松平康直(康英と改名)が養子入りして継いだ。

系譜

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父母

養子

脚注

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