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東猛夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
あずま たけお
東 猛夫
東 猛夫
1923年頃の写真
本名 金網 正之助 (かなあみ しょうのすけ)
別名義 吾妻 猛夫
生年月日 (1878-09-15) 1878年9月15日
没年月日 不詳年
出生地 日本の旗 日本 兵庫県八部郡兵庫村(現在の同県神戸市兵庫区東出町)
身長 154.5cm
職業 俳優女形
ジャンル 新派劇映画現代劇サイレント映画
活動期間 1900年 - 1923年
配偶者 東 君枝
主な作品
誘惑
京屋襟店
老僧の恋
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東 猛夫(あずま たけお、1878年9月15日 - 没年不詳)は、日本の俳優である[1][2][3][4]。本名は同じとする資料も在る[1][2]が、金網 正之助(かなあみ しょうのすけ)[3][4]吾妻 猛夫と表記に揺れがある。新派女形として、サイレント映画現代劇に出演した[1]。身長は5尺1寸(約154.5センチメートル)、体重は13貫600匁(約48.8キログラム)[3][4]

人物・来歴

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1878年(明治11年)9月15日兵庫県八部郡兵庫村(現在の同県神戸市兵庫区)に生まれる[1][5]

旧制・高等小学校を卒業し、1900年(明治33年)、新派の俳優・福井茂兵衛が主宰する一座に入門する[1]。当時、同劇団は神戸市歌舞伎座で公演を打っていた[1]。娘役で初舞台を飾り、以降、女形の舞台俳優としての道を歩む[1]

1915年(大正4年)、映画界にデビューする[1]。その後舞台での活動に戻り、1917年(大正6年)、大阪の山川興行部天然色活動写真(天活)を経て、東京の日活向島撮影所に入社する[1]。同撮影所で、立花貞二郎、のちの映画監督・衣笠貞之助らとともに、女形のスターとなった[1]

1922年(大正11年)11月25日、同撮影所のトップスターの藤野秀夫以下13名に連座し、日活を退社する[6]。同年、東京・巣鴨国際活映(国活)に移籍、翌1923年(大正12年)まで国活での出演歴が残されているが、以降の記録はない[7]

フィルモグラフィ

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山川興行部

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1917年

日活向島撮影所

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1917年
1918年
1919年
1920年
1921年
1922年

国活巣鴨撮影所

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1922年
1923年

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  1. ^ a b c d e f g h i j 『芸能人物事典 明治大正昭和』、日外アソシエーツ、1998年、「東猛夫」の項。
  2. ^ a b 『日本映画俳優全集 男優篇』、キネマ旬報社、1979年、「東猛夫」の項。
  3. ^ a b c 『人気役者の戸籍調べ』、文星社、1919年、「東猛夫」の項。
  4. ^ a b c 『世界映画俳優名鑑 大正拾壹年度』、キネマ同好会、1922年、「東猛夫」の項。
  5. ^ 『芸能人物事典 明治大正昭和』の同項には「兵庫県神戸市兵庫区東町」生まれとあるが、同町名は現存せず、東の出生当時の同地域の行政区分を採用した。
  6. ^ 『日本映画発達史 1 活動写真時代』、田中純一郎中公文庫、1975年11月25日 ISBN 4122002850、p.366、368、374。
  7. ^ 東猛夫、日本映画データベース、2009年11月27日閲覧。

外部リンク

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