東加納町
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ひがしかのうちょう 東加納町 | |
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廃止日 | 1897年4月1日 |
廃止理由 |
合併 東加納町、西加納町、下加納村 → 加納町 |
現在の自治体 | 岐阜市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方、東海地方 |
都道府県 | 岐阜県 |
郡 | 稲葉郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
3,520人 (震災誌[1]、1891年) |
東加納町役場 | |
所在地 | 岐阜県稲葉郡東加納町 |
ウィキプロジェクト |
東加納町(ひがしかのうちょう)は、かつて岐阜県稲葉郡に存在した町である。
江戸時代に中山道の加納宿の宿場町、加納藩の城下町であり、東加納町は加納城の北東の地域である。
歴史
[編集]- この地域は美濃国厚見郡であった。
- 1601年(慶長6年) - 徳川家康の命により中山道が整備され、加納宿が設置される。
- 1601年(慶長6年) - 岐阜城が破却され、加納城が築城される。加納城は加納藩主の居城となる。
- 江戸時代、加納は中山道の宿場町と加納城の城下町の両方の特徴をもった町となり、加納藩領であった。
- 1868年(明治元年) - 加納宿には24の町(本町1 - 9丁目、加納1 - 5丁目、加納長刀堀、天神町、魚屋町、田町、七軒町、広江町、新町、柳町、安良町、八幡町)が存在した。
- 1883年(明治16年) - 旧加納宿のうち、本町1 - 9丁目、天神町、魚屋町、田町、七軒町、広江町、新町、柳町、安良町、八幡町が合併し発足。
- 1889年(明治22年)7月1日 - 町村制により東加納町が発足。
- 1897年(明治30年)4月1日[2] - 厚見郡、各務郡、方県郡の一部が合併して稲葉郡となる。
- 1897年(明治30年)4月1日 - 西加納町、下加納村と合併し加納町が発足。同日東加納町廃止。
学校
[編集]- 加納小学校(現・岐阜市立加納小学校)
交通
[編集]旧跡・観光・特産品
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。
- 『岐阜県町村合併史』、1961年。
- 『角川日本地名大辞典21岐阜県』角川書店、1980年。