日本版画奉公会

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日本版画奉公会(にほんはんがほうこうかい)とは昭和18年(1943年)に結成された版画家彫師摺師らの団体である。

概要[編集]

日本版画奉公会は昭和18年(1943年)5月に大政翼賛会の下に日本の版画の伝統を守るために版画家、彫師、摺師らによって結成された団体で、恩地孝四郎を理事長として発足、その事業として皇民版画芸術の宣揚、慰問版画の制作などを掲げていた。漫画挿絵とともに、日本美術報国会第五部を組織した。翌昭和19年(1944年)2月には戦艦献納帝国芸術院会員美術展を開催、同年6月、その出品作品の中から川合玉堂鏑木清方上村松園小室翠雲結城素明による肉筆画の作品を木版複製版画として制作を始めた。制作主任には川面義雄、彫師では柴村神之助、佐藤寿禄吉、前田謙太郎、増田初が、摺師では猪村正之助、小川房吉、坂倉清次郎が携わり、奥山儀八郎工房を使用して行われた。 なお、昭和20年(1945年)3月には東京大空襲が起こり、8月15日には終戦を迎えるとともに解散される。

機関誌[編集]

「日本版画」をその機関誌としたが、その実態は、西田武雄西田半峰)の日本エッチング研究所が発行していた「エッチング」誌を改名したものである。 「エッチング」誌は昭和7年(1932年)11月創刊し、日本版画の改名した後、戦災で西田が疎開したことを以って昭和20年(1945年)1月号をもって132号で廃刊した。

会員[1][編集]

脚注[編集]

  1. ^ 「日本版画」第127号(昭和18年(1943年)6月)に会員名簿の掲載がある。

関連項目[編集]

参考文献[編集]