方景
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方景 | |
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欧字表記 | Hokei |
品種 | アングロアラブ(アラブ血量37.50%) |
性別 | 牡 |
毛色 | 鹿毛 |
生誕 | 1934年3月8日 |
死没 | 不明 |
父 | アスフオード(サラブレッド) |
母 | 影英(アングロアラブ) |
母の父 | エルワルド(アラブ) |
生国 | 日本(青森県八戸市) |
生産者 | 奥羽種馬牧場 |
競走成績 | |
生涯成績 | 不詳 |
方景(ほうけい)とは、日本で生産されたアングロアラブの種牡馬である。
※以下、馬齢はすべて2000年以前に使用された旧表記(数え年)にて記述する。
概要
[編集]青森県八戸市に存在した国営の奥羽種馬牧場で生産される[1]。父アスフオードはプリメロの全兄であり、イギリスで競走馬生活を送りドンカスターカップなど6勝を挙げたのち日本へ種牡馬として輸入された[2]。母父エルワルドはシリア産の純血アラブ[3]、母母父のオーバーヤン五ノ六はハンガリーの王立バボルナ牧場で生産されたシャギア・アラブである[4][注釈 1]。母母の影鶯、母影英はともに同じく奥羽種馬牧場で生産され、そのまま同牧場で国有の繁殖牝馬として繋養された[5]。
種牡馬としては成功を収め、アングロアラブでありながら中山大障害に出走したホウセイ、南関東公営競馬で活躍し国営競馬でも勝利したホウセント、同じく南関東で秋の特別を2勝しサラブレッドとも好勝負を演じたセンジユらを輩出した。1953年の読売カップ(春)を制したアシヤガワとセンジユが後継種牡馬として活躍したほか、母の父としてもトモスベビー、ヤマジヨーなどを出し、その血を後世へと伝えている。
血統表
[編集]方景の血統(ブランドフォード系 / 「アア」表記はアングロアラブ種 「アラ」表記はアラブ種 「*」が付された馬名はシャギア・濠サラ | (血統表の出典) | |||
父 アスフオード Athford 1925 |
父の父 Blandford1919 |
Swynford 1907 | John o'Gaunt 1901 | |
Canterbury Pilgrim 1893 | ||||
Blanche 1917 | White Eagle 1905 | |||
Black Cherry 1892 | ||||
父の母 Athasi1817 |
Farasi 1903 | Desmond 1896 | ||
Molly Morgan 1899 | ||||
Athgreany 1910 | Galloping Simon 1904 | |||
Fairyland 1903 | ||||
母 アア 影英 1929 |
アラ エルワルド 1919 |
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母の母 アア 影鶯1919 |
*アラ オーバヤン五ノ六 O'Bajan V-6 1908 | *アラ O'Bajan V 1894 | ||
*アラ ガズラン一ノ五 | ||||
第一エラ 1912 | プライド Pride of Tathwell 1900 | |||
エラ 1901 11-g |
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 日本ではシャギア・アラブも純血アラブと等価のアラブ血量100%として取り扱う。