文室益善
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時代 | 平安時代初期 - 前期 |
---|---|
生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
改名 | 益善王→文室益善 |
別名 | 益吉 |
官位 | 従五位上・豊前守 |
主君 | 仁明天皇→文徳天皇→清和天皇 |
氏族 | 清原真人→文室真人 |
子 |
清原興岑、清原忠道、清原忠棟、 清原忠主、ほか子女5人 |
文室 益善(ふんや の ますよし)は、平安時代初期から前期にかけての貴族・皇族。名は益吉とも記される。当初益善王を名乗るが、臣籍降下後の姓は清原真人のち文室真人。一品・舎人親王の後裔と考えられる[1]。官位は従五位上・豊前守。
経歴
[編集]承和13年(846年)正月に従五位下に叙爵し、筑後守に任ぜられる。2月には興岑以下9名の子女が、藤坂王・御藤王の子女と共に臣籍降下し清原真人姓を与えられる。
仁寿3年(853年)従五位上・大蔵大輔に叙任されるが、翌仁寿4年(854年)には摂津守として再び地方官に転じる。斉衡3年(856年)6月に清原真人姓を与えられて臣籍降下するが、同年11月には早くも文室真人姓に改姓している。
清和朝でも、貞観元年(859年)紀伊守、貞観2年(860年)豊前守と地方官を歴任した。
官歴
[編集]- 時期不詳:正六位上
- 承和13年(846年) 正月7日:従五位下。正月13日:筑後守。2月28日:子女9人が臣籍降下(清原真人)
- 仁寿3年(853年) 正月7日:従五位上。4月10日:大蔵大輔
- 仁寿4年(854年) 正月16日:摂津守
- 斉衡3年(856年) 6月16日:臣籍降下(清原真人)。11月22日:清原真人から文室真人に改姓
- 貞観元年(859年) 12月21日:紀伊守
- 貞観2年(860年) 3月20日:豊前守