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慶紀逸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

慶 紀逸(けい きいつ、元禄8年(1695年) - 宝暦12年5月8日1762年6月29日[1])は、江戸時代中期の俳人。本名は椎名件人(しいな かずひと)[1]、椎名土佐件人[2]。通称は兵蔵か[1]。別号に自在庵、四時庵、硯田舎、倚柱子、自生庵、短長斎、十明庵など[2]

幕府の御用鋳物師椎名兵庫(伊予)の次男として生まれた[2]立羽不角三田白峰稲津祇空俳諧を学ぶ[2]。祇空系の宗匠となるが、江戸座の宗匠として点者を務めた[2]寛延3年(1750年)に句集『武玉川(むたまがわ)』初編を刊行する[2]。軽妙洒脱な句風でのちの川柳勃興のさきがけとなった[要出典]。死後、谷中の竜泉寺に葬られた[1]

句集に『燕都枝折(えどのしおり)』『吾妻舞』(寛保元年)『夜寒碑』(宝暦13年)『雑話抄』(宝暦4年)『梅五歌仙』(宝暦5年)『許人追善集』(宝暦7年)『歳花集』(宝暦7年)『黄昏日記』(宝暦10年)などがある[2]

兄の椎名許人、妻のれんも俳人[2]。紀逸二世は慶紀逸英窓[2]、三世は是非庵平什[2]、四世は奇々庵藤紀逸[2]

脚注

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  1. ^ a b c d 加藤定彦紀逸の家系』俳文学会、1978年。doi:10.11180/haibun1951.1978.28https://doi.org/10.11180/haibun1951.1978.282022年1月9日閲覧 
  2. ^ a b c d e f g h i j k 日本古典文学大辞典編集委員会『日本古典文学大辞典第2巻』岩波書店、1984年1月、100頁。