愛知川町
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えちがわちょう 愛知川町 | |||||
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廃止日 | 2006年2月13日 | ||||
廃止理由 |
新設合併 愛知川町、秦荘町 → 愛荘町 | ||||
現在の自治体 | 愛荘町 | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 近畿地方 | ||||
都道府県 | 滋賀県 | ||||
郡 | 愛知郡 | ||||
市町村コード | 25424-0 | ||||
面積 | 12.94 km2. | ||||
総人口 |
11,808人 (推計人口、2006年2月1日) | ||||
隣接自治体 |
彦根市、東近江市 犬上郡 豊郷町 愛知郡 秦荘町 神崎郡 能登川町 | ||||
町の木 | モミジ(1975年1月制定) | ||||
町の花 | ユリ(1975年1月制定) | ||||
愛知川町役場 | |||||
所在地 |
〒529-1380 滋賀県愛知郡愛知川町大字愛知川72番地 | ||||
座標 | 北緯35度10分 東経136度13分 / 北緯35.17度 東経136.21度座標: 北緯35度10分 東経136度13分 / 北緯35.17度 東経136.21度 | ||||
ウィキプロジェクト |
愛知川町(えちがわちょう)は、かつて滋賀県愛知郡(えちぐん)にあった町。近世には中山道66番目の宿場愛知川宿があった。明治天皇が御小休された部屋がそのまま保存されている。
2006年(平成18年)2月13日、隣接する秦荘町と合併して愛荘町が発足し、愛知川町は廃止された。
地理
[編集]隣接していた自治体
[編集]歴史
[編集]古代・中世には東山道がこの付近を通っていたと考えられている。 近世には、中山道の宿場町として栄えた。歌川広重らが描いた木版画「木曽海道六拾九次」では、66枚目として愛知川にかかる無賃橋が描かれている。ただし、愛知川宿は江戸から数えて65番目の宿場である。
沿革
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、市村、愛知川村、中宿村、沓掛村、石橋村、川久保村、長野村、河原村及び山川原村の区域をもって、愛知川村が発足する。
- 1909年(明治42年)10月1日 - 愛知川村が町制施行して、愛知川町となる。
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 愛知川町及び豊国村が合併して、改めて愛知川町が発足する。
- 2006年(平成18年)2月13日 - 愛知川町及び秦荘町が合併して、愛荘町が発足する。
行政
[編集]- 町長:平元真
姉妹都市
[編集]- 1998年8月14日 姉妹都市提携
教育
[編集]小学校
- 愛知川町立愛知川小学校(愛知川町沓掛)
- 愛知川町立愛知川東小学校(愛知川町豊満)
中学校
- 愛知川町立愛知中学校(愛知川町市)
高等学校
- 滋賀県立愛知高等学校(愛知川町愛知川)
産業
[編集]- 農業
『大日本篤農家名鑑』によれば、愛知川村の篤農家は「細野繁明、阿藤市平、渡邊四郎、里西勘平、浦部新平、西村吉蔵、西村元次郎、神谷為吉、谷川磯次郎、西山元彌、藤居清吉、塚本貞次郎、松居吉平」などがいた[1]。
主な企業
- 三笠コカ・コーラ・ボトラーズ
- 日本電産
- タカタ
- 栗本コンクリート
- 立川ブラインド
- 川島織物
- 杉本インテリア
- 日本デキシー
- ユニックス
- 工場
交通
[編集]鉄道
[編集]道路
[編集]一般国道
主要地方道
一般県道
施設
[編集]- 東近江警察署愛知川警部交番
- 保健センター
- 愛知川町中央公民館、町営テニスコート
- るーぶる愛知川
- 近江上布伝統産業会館
- ゆうがくの郷びんてまりの館
- 平和堂愛知川店(アモール)
- 愛映劇場 - 映画館。(1952年〜1967年頃)
名所・旧跡
[編集]- 旧愛知川宿
- 竹平楼(かつての旅籠屋。明治天皇の御座所が保存されている。登録有形文化財)
- 豊満神社(鎌倉時代末の四脚門は国の重要文化財)
- 近江鉄道愛知川橋梁(開業当時の鉄橋が現在も使われている。登録有形文化財)
- 旧愛知郡役所(大正時代の郡役所建築。滋賀県内に現存する唯一の遺構)
- 愛知川祇園納涼祭花火大会(滋賀県湖東地方で最も歴史が長い花火大会)
- 近江商人亭
伝統工芸品
[編集]出身者
[編集]脚注
[編集]- ^ 『大日本篤農家名鑑』346頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年12月15日閲覧。
- ^ 『全国工場通覧』686頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年12月29日閲覧。
参考文献
[編集]- 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
- 商工省大臣官房統計課編『全国工場通覧』日刊工業新聞社、1931年。