弘道王

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弘道王(ひろみちおう、生没年不詳)は、平安時代前期の皇族官位従五位上内膳正

経歴[編集]

貞観9年(867年従五位下叙爵し、貞観12年(870年玄蕃頭に任ぜられる。この間、貞観11年(869年)は新羅海賊の侵略(新羅の入寇)と自然災害地震風水害[1]、貞観16年(874年)は虫害が発生したために伊勢神宮に奉幣使として派遣されている。特に後者については、奉幣を行った後、となって飛び去ったり小蜂に刺し殺されたりして消え去り、虫害は解消してしまったという[2]

陽成朝に入ると貞観19年(877年)従五位上に昇叙され、のち刑部大輔民部大輔武蔵権守などを歴任した。またこの間、元慶元年(877年改元[3]、元慶2年(878年橿日宮の新羅侵攻の託宣[4]、元慶4年(880年大極殿の竣工[5]、元慶5年(881年天皇元服など[6]、しばしば伊勢神宮への奉幣使を務めた。

光孝朝の仁和3年(887年内膳正に任ぜられている。

官歴[編集]

日本三代実録』による。

脚注[編集]

  1. ^ 『日本三代実録』貞観11年12月14日条
  2. ^ 『日本三代実録』貞観16年8月13日条
  3. ^ 『日本三代実録』元慶元年7月19日条
  4. ^ 『日本三代実録』元慶2年12月11日条
  5. ^ 『日本三代実録』元慶4年2月4日条
  6. ^ 『日本三代実録』元慶5年12月11日条

参考文献[編集]