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川添哲夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
かわぞえ てつお

川添 哲夫
生誕 1950年1月15日
日本の旗 日本 高知県香美郡土佐山田町(現・香美市
死没 1988年3月24日
中華人民共和国の旗 中国 上海市
死因 列車事故
国籍 日本の旗 日本
出身校 国士舘大学体育学部
職業 高知学芸高等学校体育教諭
著名な実績 全日本剣道選手権大会優勝2回
全国教職員剣道大会個人優勝5回
世界剣道選手権大会団体優勝1回
肩書き 剣道教士七段
配偶者 川添永子(旧姓桑原)
受賞 高知県スポーツの殿堂
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川添 哲夫(かわぞえ てつお、1950年昭和25年〉1月15日 - 1988年〈昭和63年〉3月24日)は、日本剣道家。段位教士七段。

上段の遣い手で、全日本剣道選手権大会優勝2回・準優勝1回・第三位3回、全国教職員剣道大会個人優勝5回、世界剣道選手権大会団体優勝1回などの戦績を残した。

経歴

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生い立ち

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高知県香美郡土佐山田町(現・香美市)生まれ。父は剣道範士八段・高知県剣道連盟副会長の川添恵美(かわぞえ めぐみ)。

中学・高校時代

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高知中学校・高等学校で剣道に励み、高校2年・3年にはインターハイに出場。3年から上段の構えを執る。

大学時代

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国士舘大学体育学部4年時の1971年、第19回全日本剣道選手権大会で初出場初優勝した。大学生で全日本選手権を制覇したのは川添が史上初であり、これは2014年の第62回全日本選手権で竹ノ内佑也筑波大学)が川添と同じく初出場初優勝を果たすまで43年間現れなかった[1]。また川添の初優勝時は21歳であったが、これは史上最年少タイの記録である(2014年現在)。

教師時代

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大学卒業にあたり、東京に留まるよう周囲から随分と引き留められたが、故郷へ戻って高知学芸高等学校体育教諭となる。剣道教育者になった理由として、父の川添恵美が東京高等師範学校体育科(現・筑波大学体育系)出身の高等教育の剣道教師であり、高知県の剣道教育に多大な貢献をしていた影響があると思われる[2]。同年、2連覇をかけて出場した第20回全日本剣道選手権大会では、決勝戦で同じく上段の遣い手の千葉仁東京)に22分18秒におよぶ接戦の末敗れ、準優勝に終わった。

1975年、第23回全日本剣道選手権大会で2回目の優勝。同年、国士舘大学の同窓で全日本女子剣道選手権大会3連覇の記録を持つ桑原永子と結婚。

1976年、第3回世界剣道選手権大会団体戦で優勝。

事故死

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1988年3月24日修学旅行の引率で訪れていた中華人民共和国上海で列車事故(上海列車事故)に巻き込まれて死亡した。享年38。

死後

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2009年10月16日、故人として高知県スポーツの殿堂に入る[3]。剣道家としては川崎善三郎に次いで2人目。父の川添恵美が代理で授与された。

妻の川添永子(旧姓:桑原)も剣道家であり、2008年まで高知学芸中学校・高等学校にて体育の教師をつとめた[4]

脚注

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参考文献

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