島津久頼

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島津久頼
時代 江戸時代前期
生誕 元和5年7月2日1619年8月11日
死没 不詳
改名 敷根頼喜 → 島津久頼
別名 蔵人(通称)、筑前守(受領名
主君 島津家久光久
薩摩藩
氏族 敷根氏島津氏(市成島津家)
父母 父:敷根立頼、母:敷根頼元の娘
兄弟 敷根頼国久頼
島津家久の八女
女(肝付久兼室)
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島津 久頼(しまづ ひさより)は、江戸時代前期の薩摩藩士。薩摩島津氏の庶流。

生涯[編集]

祖父は宮之城島津家の祖である島津忠長で、父の立頼はその三男であるが、大隅国国人土岐氏の末裔である敷根氏を継いだ。久頼は立頼の次男として生まれたが、寛永10年(1633年)に家督を継いでいた兄の頼国が嗣子の無いまま20歳で早世したため、久頼が跡を継ぎ、敷根蔵人頼喜を名乗った。

寛永16年(1639年6月28日に主君島津家久の八女を娶る。寛永20年(1643年)に後光明天皇が即位した際は、2代藩主光久の名代として上洛することとなり、この際に島津の姓と「久」の偏諱を授かり、以後は島津筑前守久頼と名乗った。

また、正保3年(1646年)に光久より、以後代々島津姓を名乗ることが許され(ただし嫡流のみで、次男の家は土岐姓)、また敷根氏の祖先の氏である源氏清和源氏)から、島津家が氏とする藤原氏を名乗ることも許可された。慶安2年(1649年)、光久の家老職に抜擢され、御役料として1000石を賜った。

参考文献[編集]

  • 本藩人物誌』 鹿児島県史料集(13)(鹿児島県史料刊行委員会)
  • 稲葉行雄 『「さつま」歴史人名集』(高城書房出版)ISBN 4-924752-28-2