岩崎橋 (大阪市)

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岩崎橋
岩崎橋(西区側より撮影。)
基本情報
日本
所在地 大阪市
交差物件 岩崎運河尻無川上流)
建設 大正9年(1920年12月
座標 北緯34度40分1.8秒 東経135度28分34.5秒 / 北緯34.667167度 東経135.476250度 / 34.667167; 135.476250座標: 北緯34度40分1.8秒 東経135度28分34.5秒 / 北緯34.667167度 東経135.476250度 / 34.667167; 135.476250
構造諸元
形式 桁橋
材料
全長 75.6m
19.2m
関連項目
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式
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岩崎橋(いわさきばし)は、大阪府大阪市西区千代崎3丁目と同市大正区三軒家西1丁目の間の岩崎運河尻無川上流)に架かる桁橋。岩崎橋の南側に並んで、大阪環状線が通過する岩崎運河橋梁がある。

橋長は75.6メートル、有効幅員は19.2メートル(うち歩道幅員1.5メートル)[1]。岩崎運河上流の方向には岩松橋がある。

概要[編集]

岩崎橋は大正9年(1920年12月の岩崎運河の開削と同時に架設され、当時は大阪市電九条高津線が走っていた[1]。名称の由来は当時の町名であった岩崎町(旧・西成郡九条村大字岩崎新田)より[要出典]

全国の橋が鉄橋から鉄筋コンクリート橋へ次々と架け替えられた当時の風潮を受け、岩崎橋は大阪市内で初めての鉄筋コンクリートアーチ橋(橋長:74.4メートル、幅員:17.2メートル、四径間)[2]として建設された[注 1]。その後に続いて、道頓堀戎橋の架け替えが行われた[1]

だが、建設後に地盤沈下の被害を受け[2]昭和40年(1965年5月・昭和49年(1974年3月には拡幅が行われ[1]、現在の桁橋の状態になった[2]平成13年(2001年)・14年(2002年)の秋には、当橋と岩松橋との間の尻無川護岸壁(大正区側)に「描こう!わがまち大正ギャラリー」と題し、大正区民によって未来の町並みなどの絵が描かれた[1]

また、当橋の名称は平成21年(2009年3月20日阪神なんば線開業前に現在のドーム前駅の仮称として用いられていた[3]

交通[編集]

ギャラリー[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 同時期には中之島の難波橋でさえ、鉄橋と鉄筋コンクリート橋の混合橋であった[1]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f 大正区役所(編)、2002年、『区制70周年記念誌 わがまち大正』  p. p.30
  2. ^ a b c 大阪市市政 岩崎橋(いわさきばし)”. 大阪市建設局道路部橋梁課 (2010年4月7日). 2012年11月19日閲覧。
  3. ^ 7月9日・19日に、西大阪延伸線建設工事 第3工区・第4工区のシールドマシンが発進します (PDF, 526KB)
  4. ^ a b 大阪市 大正区 大正区の橋”. 大阪市大正区役所 総務課総合企画グループ. 2012年11月19日閲覧。

外部リンク[編集]