山谷虎三
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山谷 虎三(やまや とらぞう、万延元年7月14日[1](1860年9月1日) - 昭和2年(1927年)1月15日[2])は、日本の衆議院議員(立憲国民党)。弁護士。
経歴
[編集]美作国真島郡勝山(現在の真庭市)出身[3]。1882年(明治15年)、明治法律学校(現在の明治大学)を卒業[2]。代言人、弁護士として活動した。勝山町会議員、中国鉄道株式会社支配人、阿哲銀行頭取などを務めた[2][3]。
1912年(明治45年)、第11回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。1916年(大正5年)の補欠選挙でも再選を果たした。
著書
[編集]- 『日本憲法正解』(1889年、日本書籍)
親族
[編集]- 山谷徳治郎 - 弟(医師、衆議院議員)妻のますよは美作勝山銀行(のち中国銀行に譲渡)副頭取・河本直一郎(1868-1924)の妹[4][5]。親戚に男爵の日置健太郎(河本の娘の舅)。
- 山谷太郎 - 甥(俳人、日新書院取締役)
- 倉本聰 - 大甥(脚本家、山谷太郎の次男)
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『衆議院要覧 大正元年十一月』衆議院事務局、1912年。
- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 衆議院・参議院編『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1962年。