山田文七

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山田文七家
情報
構造形式 木造
階数 つし2階
竣工 1881年(明治14年)
所在地 492-8219
愛知県稲沢市稲葉3丁目15-3
座標 北緯35度15分11.6秒 東経136度47分32.6秒 / 北緯35.253222度 東経136.792389度 / 35.253222; 136.792389 (山田文七家)座標: 北緯35度15分11.6秒 東経136度47分32.6秒 / 北緯35.253222度 東経136.792389度 / 35.253222; 136.792389 (山田文七家)
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山田 文七(やまだ ぶんしち)は、愛知県稲沢市名跡

歴史[編集]

山田文七家は美濃路稲葉宿にある。稲葉宿で名跡となっている家には、山田市三郎家、山田文七家、山田藤吉家があり、明治時代から昭和時代まで当主は代々名跡を襲名した[1][2]。山田文七家のはす向かいには山田市三郎家があり、江戸時代の山田市三郎家は尾張藩の為替御用達(大名貸)を勤めていた[3][4]

明治期の山田文七は、株式会社稲沢銀行(→東海銀行三菱UFJ銀行)、稲沢電気株式会社(後の稲沢電灯株式会社、→東邦電力中部電力)、稲沢織布の創業者に名を連ねた[5]。山田文七家は1881年(明治14年)に建てられたとされ、屋根瓦には「山文」の屋号が刻まれている[6]

1947年(昭和22年)4月5日の第1回統一地方選挙では、山田文七[7]稲沢町長に就任した[8]

脚注[編集]

  1. ^ 新修稲沢市史編纂会事務局 1991, pp. 115, 186.
  2. ^ 新修稲沢市史編纂会事務局 1986, p. 191.
  3. ^ 新修稲沢市史編纂会事務局 1991, p. 116.
  4. ^ 東海銀行行史編纂委員会 編『東海銀行史』東海銀行、1961年。全国書誌番号:77100097 
  5. ^ 新修稲沢市史編纂会事務局 1991, pp. 115, 178, 185, 191.
  6. ^ 新修稲沢市史編纂会事務局 1978, pp. 209–212.
  7. ^ 1975年没。喪主は妻の雅子。
  8. ^ 新修稲沢市史編纂会事務局 1991, p. 362.

参考文献[編集]

  • 新修稲沢市史編纂会事務局『新修 稲沢市史』 本文編 上、稲沢市、1990年11月。全国書誌番号:91034784 
  • 新修稲沢市史編纂会事務局『新修 稲沢市史』 本文編 下、稲沢市、1991年3月。全国書誌番号:91037610 
  • 新修稲沢市史編纂会事務局『新修 稲沢市史』 研究編1 建造物、稲沢市、1978年11月。全国書誌番号:79006024 
  • 新修稲沢市史編纂会事務局『新修 稲沢市史』 資料編15 近現代2、稲沢市、1986年3月。全国書誌番号:86027993 

外部リンク[編集]

  • ウィキメディア・コモンズには、山田文七家に関するカテゴリがあります。