山田文七

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山田文七(やまだ ぶんしち)は、愛知県稲沢市にかつて存在した稲葉宿の家名の1つ。

解説[編集]

稲葉宿では、山田市三郎と山田文七、山田藤吉は、名跡となっており、明治時代から昭和時代まで、代々襲名した。[1] [注 1]

明治期の山田文七は、稲沢銀行稲沢電気稲沢織布の創業者としても、名を連ねる。 [2]

昭和期の山田文七は[注 2]、1947年(昭和22年)4月5日 戦後初の第一回の府県知事・市区町村選挙で、愛知県中島郡稲沢町の初代町長に就任した。 [3]

稲葉宿にある旧文七邸の瓦1つ1つには、山文の屋号が刻まれている。稲葉宿に残る明治初期の町家の建物の1つ。[4]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 江戸時代までさかのぼると、新修 稲沢市史 本文編下 116頁の記述や東海銀行史によると、山田市三郎家は、尾張藩の為替御用達を勤めている。
  2. ^ 1975年没。喪主は、妻の雅子氏。

出典[編集]

  1. ^ 新修 稲沢市史 本文編 下 115頁, 186頁、 ならびに、新修 稲沢市史 資料編15 近現代二 191頁
  2. ^ 新修 稲沢市史 本文編 下 115頁, 178頁, 185頁, 191頁
  3. ^ 新修 稲沢市史 本文編 下 362頁
  4. ^ 新修 稲沢市史 研究編一 建造物 209頁

参考文献[編集]

新修稲沢市史編纂会事務局 『新修 稲沢市史 本文編 上・下, 資料編15 近現代二』 稲沢市、1990年