小野寺有一
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小野寺 有一(おのでら ゆういち、1883年(明治16年)7月1日[1] – 1965年(昭和40年)1月4日[2])は、衆議院議員。岩手県釜石市長。
経歴
[編集]岩手県東磐井郡黄海村(藤沢町を経て現在の一関市)出身。岩手県巡査となり[3]、普通文官試験に合格して、1909年(明治42年)より岩手県警部を務めた[1]。その後、宮城県警部に転じ、角田警察署長、石巻警察署長、塩釜警察署長、高等保安警務課長を歴任[3]。1921年(大正10年)に警視に昇進し、仙台警察署長に就任した[1]。その後、伊具郡長となった。
1928年(昭和3年)より釜石町長を務め、1937年(昭和12年)に市制施行されると初代市長に就任した。
1942年(昭和17年)、第21回衆議院議員総選挙に翼賛政治体制協議会の推薦を受けて出馬し、当選を果たした。
そのため、戦後、公職追放となった[4]。追放解除後も政界に復帰することはなかった。1965年死去。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『御大典記念 岩手県名士肖像録』岩手県名士肖像録刊行会、1930年。
- 『自治制実施五十周年記念 全国市長銘鑑』帝国自治協会、1938年。
- 『衆議院要覧(乙)昭和十七年十一月』衆議院事務局、1942年。