安良神社

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安良神社
所在地 鹿児島県霧島市横川町上ノ164
主祭神 安良姫命、十一面観世音菩薩稲牟礼宮腰越宮諏訪宮
創建 伝・和銅年間(708年 - 715年
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安良神社(やすらじんじゃ)は、鹿児島県霧島市横川町上ノ164に鎮座する神社鹿児島神宮霧島神宮加治木春日神社福山宮浦神社とともに大隅5社として崇められてきた。

祭神[編集]

安良姫命(やすらひめの みこと)、十一面観世音菩薩稲牟礼宮(いなむれぐう)、腰越宮(こしごえぐう)、諏訪宮の5柱。このうち、 腰越宮(こしごえぐう)は、安良姫の母君にあらせられ、諏訪宮は農工商の神である。また、安良姫は生前、十一面観音を篤く信仰していた。

由緒[編集]

和銅年間(708年 - 715年)の創建という伝承がある。

都の女官であった安良姫という女性が、あるとき、川辺で直垂を洗っていたら、飛んできたたくさんの白鷺に見とれてしまい、片袖を流してしまった。その咎(とが)により、門の扉に縛られ、炭火で焼き殺されるという重罪に処せられたが、観世音が彼女の身代わりとなり、難を逃れた。

安良姫は大隅国横川の里に落ち延びたが、都のことや母君のことを思い、煩悶ののちに安良岳の頂上で自害した。その後、この里に種々の怪異が度々起こったので、村人等がその霊を慰め、安良岳の頂上に姫を祀った。さらに今から700年ほど前に、安良岳の麓の現在地に遷された。

三国名勝図会』には、かつてこのあたりで門を立てたり、炭を焼くと祟りがあった、と載せられている。

神社には(北条泰時の時代の)貞永5年(正しくは嘉禎2年、1236年)、(南北朝統一間近の)北朝康応2年(1390年)の棟札や板碑、古文書などが所蔵されている。享保19年(1734年)には正一位「安良大明神」が贈位された。

神社には、室町時代初期の13の能面もつたわっており、現在は郷土館で保存されている。社宝としては、御幣3 古鐘2なども伝わっている。

祭祀[編集]

例祭日は、4月17日と、11月5日。11月5日からは、四方立舞、田の神舞が奉納される。

脚注[編集]

参考資料[編集]

  • 『コンサイス日本人名辞典 改訂新版』(三省堂、1993年) p1272

外部リンク[編集]

座標: 北緯31度54分16.5秒 東経130度40分8.6秒 / 北緯31.904583度 東経130.669056度 / 31.904583; 130.669056