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大牧冨士夫

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大牧 冨士夫(おおまき ふじお、1928年昭和3年) - 2021年令和3年)1月15日)は、日本の文学研究者・郷土史研究者・小説家

略歴

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1928年(昭和3年)、岐阜県揖斐川上流、旧徳山村漆原(下開田地区)に生まれ育つ。太平洋戦争末期を新潟県村松陸軍少年通信兵学校で過ごす。戦後は、岐阜大学卒業後、岐阜市での業界紙記者などを経て、1963年(昭和38年)より故郷の徳山村で教鞭をとる。この間、中野重治に関する論文を『新日本文学』などに発表する。その傍ら、郷土史に興味を寄せ、『徳山村史』の編集執筆などに携わる。1985年(昭和60年)、徳山ダム建設に先立ち、徳山村を離村。1980年に『中野鈴子全詩集』の解題、年譜を書いて編集に加わった。離村後も、中野鈴子(中野重治の妹)研究の第一人者として活発な文芸活動を行い、同人誌『遊民』に参加した。小・中学校の教員を長く務め、北方町北方中学校を最後に退職した[1]。2021年(令和3年)1月15日、新型コロナウイルス感染による誤嚥性肺炎のため、岐阜市内の病院で死去、92歳[1]

著書

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  • 『徳山村史』(共著)
  • 『郷土資料── 揖斐郡徳山村方言』(岐阜大学教育学部の編集発行)
  • 『たれか故郷をおもわざる』(ブックショップマイタウン、1990)
  • 『徳山ダム離村記』(ブックショップマイタウン、1991)
  • 『研究中野重治』(共著)
  • 評論集『三頭立ての馬車』(共著)
  • 『中野鈴子 付遺稿・私の日暮らし、他』幻野工房、1997 
  • 『ぼくの家には、むささびが棲んでいた ——徳山村の記録』(編集グループSURE
  • 『あのころ、ぼくは革命を信じていた ――敗戦と高度成長のあいだ』(編集グループSURE)
  • 『ぼくは村の先生だった──村が徳山ダムに沈むまで』(編集グループSURE)

活動

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出典

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  1. ^ a b “大牧 冨士夫氏 「徳山村史」執筆”. 岐阜新聞. (2021年2月4日). オリジナルの2021年2月7日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/ym9pX 

参考文献

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  • 『中野鈴子 付遺稿・私の日暮し、他』裏書経歴
  • 同人誌『遊民』

関連項目

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