大森禅戒

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大森 禅戒(おおもり ぜんかい、明治4年7月14日1871年8月29日) - 昭和22年(1947年2月4日)は、日本の曹洞宗僧侶。旧姓は八木。号は活龍。山梨県慈照寺住職駒澤大学教授・曹洞宗管長永平寺70世貫首總持寺独住11世貫首。

略歴[編集]

福井県坂井郡丸岡町出身。明治18年(1885年)に地元の台雲寺住職大森董戒の下で出家。明治29年(1896年)に曹洞宗大学林(現、駒澤大学)を卒業後、比叡山高野山東大寺に内地留学。29歳で曹洞宗大学林学監兼教授となった。

その後、明治37年(1904年)2月からアメリカイギリスドイツの大学に留学し、最後はインドに立ち寄って明治44年(1911年)8月に帰国。

その後もヨーロッパやハワイ、アメリカなどに赴き、視察や布教などを行うなど、国際的にも活躍した。

教学部長、山梨県慈照寺住職、駒澤大学教授、永平寺臨時監院を務めた後、昭和9年(1934年)から昭和12年(1937年)まで駒澤大学学長に就任。永平寺東京出張所監院を経て、昭和15年(1940年)には曹洞宗管長に就任し、昭和16年(1941年)4月には、總持寺独住11世となり、6月には鈴木天山の後を継いで永平寺第70世貫首となったが、入山式の直後に引退を表明、以後は自分の研究に打ち込んだ。

昭和22年(1947年)、脳溢血のため遷化

著書[編集]

論文[編集]

参考文献[編集]

外部リンク[編集]

先代
鈴木天山
曹洞宗管長
1940年-1941年
次代
秦慧昭
先代
鈴木天山
總持寺貫首
独住11世:1941年
次代
高階瓏仙
先代
鈴木天山
永平寺貫首
70世:1941年
次代
高階瓏仙
先代
忽滑谷快天
駒澤大学長
2代:1934年-1937年
次代
立花俊道