大村池麻呂

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大村 池麻呂(おおむら の いけまろ、生没年不詳)は、奈良時代の官人。官位従五位下因幡介

出自[編集]

大村氏(大村直)は、天道根命の六世孫にあたる君積命[1](または枳弥都弥命[2])の後裔で、紀氏(紀直)と同祖とされる天神氏族。一方で、承和2年(835年丹波国人の右近衛医師従五位下大村福吉ら5人が大村直から紀宿禰に改姓しているが、福吉らは武内宿禰の支族としており[3]、別系統(皇別氏族)の大村直の存在も知られている。

氏の呼称は、和泉国大鳥郡大村郷(現在の大阪府堺市高蔵寺付近)の地名に因む[4][5]

経歴[編集]

桓武朝初頭の延暦2年(783年従五位下に叙せられ、延暦3年(784年主計助に任命される。延暦4年(785年因幡国司の交代があり、因幡守に藤原宗継が、介に池麻呂が任ぜられている。

官歴[編集]

続日本紀』による。

脚注[編集]

  1. ^ 『新撰姓氏録』右京神別下
  2. ^ 『新撰姓氏録』和泉国神別
  3. ^ 『続日本後紀』承和2年10月4日条
  4. ^ 佐伯有清『新撰姓氏録の研究』考証篇二
  5. ^ 岩波書店『続日本紀』補注37 - 二八

参考文献[編集]