大久保教端
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時代 | 江戸時代前期 - 中期 |
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生誕 | 貞享4年(1687年) |
死没 | 寛保2年8月30日(1742年9月28日) |
改名 | 団之助(幼名)、 |
戒名 | 智性相空真常院 |
墓所 | 東京都世田谷区太子堂の教学院 |
官位 | 従五位下、筑後守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 駿河国松長藩主 |
氏族 | 大久保氏 |
父母 | 父:大久保教寛、母:米津政武の娘 |
兄弟 | 教端、教平 |
妻 | 正室:なし、側室:伊藤氏 |
子 |
教起、 娘(花房職朝正室)、娘(朽木朝綱正室) |
大久保 教端(おおくぼ のりまさ)は、駿河松長藩の第2代藩主。荻野山中藩大久保家2代。
生涯
[編集]貞享4年(1687年)、初代藩主・大久保教寛の長男として生まれる。宝永3年(1706年)12月19日、従五位下、筑後守に叙任される。享保15年(1730年)11月27日、父が隠居したため家督を継ぐ。このとき、弟の教平に駿河・相模国内で3000石を分与したため、1万3000石の大名となった。
寛保2年(1742年)8月晦日に死去した。享年56。跡を三男・教起が継いだ。
系譜
[編集]父母
側室
- 伊藤氏
子女