大久保教倫
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 宝暦元年(1751年) |
死没 | 安永2年5月9日(1773年6月28日) |
改名 | 吉之丞(幼名)、教倫 |
戒名 | 本宗一相観達院 |
墓所 | 東京都世田谷区太子堂の教学院 |
官位 | 従五位下、長門守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 駿河国松長藩主 |
氏族 | 大久保氏 |
父母 | 父:大久保教起 |
妻 | 婚約者:板倉勝興の娘 |
子 | 実子:なし、養子:教翅 |
大久保 教倫(おおくぼ のりみち)は、駿河松長藩の第4代藩主。荻野山中藩大久保家4代。
宝暦元年(1751年)、第3代藩主・教起の長男として生まれる。宝暦5年(1755年)に父が死去したため家督を継いだ。明和4年(1767年)12月16日、従五位下、長門守に叙任する。明和7年(1770年)11月26日、田安門番を務めていたとき、番舎を焼失させるという不手際を起こしたため、明和8年(1771年)まで出仕を停止させられた。
安永2年(1773年)5月9日に死去した。享年23。子はなく、跡を養子の教翅が継いだ。
系譜
[編集]父母
- 大久保教起(父)
婚約者
- 板倉勝興の娘
養子