多部田城
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多部田城 (千葉県) | |
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多部田城 | |
天守構造 | なし |
築城主 | 不明 |
築城年 | 不明 |
主な城主 | 千葉胤忠、白井入道 |
遺構 | 土塁、空堀 |
指定文化財 | なし |
位置 | 北緯35度36分8.7秒 東経140度11分42.8秒 / 北緯35.602417度 東経140.195222度座標: 北緯35度36分8.7秒 東経140度11分42.8秒 / 北緯35.602417度 東経140.195222度 |
地図 |
多部田城(たべたじょう)は、千葉市若葉区多部田町にあった日本の城。
概要
[編集]千葉市街から東へ約8キロメートルの郊外、多部田町の最福寺のすぐ裏手にある城跡である。都川およびその支流を望む比高約18~30メートルの台地上にある。
千葉常胤の四男・胤信は、多部田四郎を称し、この地を領していたとされる。胤信は、のちに大須賀(現在の成田市)に移った。また、千葉胤正の八男・胤忠は、多部田太郎を称していた[1]ことから、やはりこの地を分拠されたものと見られている。
上杉謙信が千葉胤富の属城である臼井城を攻めた時、城内に軍配の名人・白井入道がいたと伝えられるが、この白井入道は多部田殿と称されていることから、多部田城主と考えられている[2]。
構造
[編集]多部田の字宿を中心とした城郭である。宿の西に突き出した台地の端には、北側に狭い腰郭が確認できる。その南に接して、土塁と空堀に囲まれた方形の郭がある。郭には、東西2箇所の虎口が設けられており、東の虎口は宿に通じ、西の虎口は台地先端に通じている。
この郭に相対して南東にもう1つの郭がある。この郭は、屈曲した土塁と空堀で外枠を作り、内部を土塁と空堀で3分し、複雑な形状をしている。また、北側面と西側面に腰郭が設けられている。